塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2233 2013/10/29 1:54

▼世話係
三ノ輪橋
むかし、ちいさな橋がかかっていた。維新前後の記録だと、長さ五間四尺(約十メートル)、幅が三間(約六メートル)で、どこにでもある規模である。
流れてくるのは、根岸の里をぬけた音無川(おとなしがわ)で、ここで道と交差する。上野を背にして立つと、道の右側は「千束(せんぞく)の池」が干(ひ)あがってできた湿地でススキの原であった。
問題は左側である。橋をかけるためには、まず上流の流れのコースを固定する必要がある。現在のように川をふかく掘りさげることはできないし、コンクリートのたかい側壁をつくることもしない。せいぜい土手を踏みかため、桜を植えて根を張らせて丈夫にするぐらいだ。 (原稿より)-
10/29 1:54

▼世話係
むかし、ちいさな橋がかかっていた。維新前後の記録だと、長さ五間四尺(約十メートル)、幅が三間(約六メートル)で、どこにでもある規模である。
流れてくるのは、根岸の里をぬけた音無川(おとなしがわ)で、ここで道と交差する。上野を背にして立つと、道の右側は「千束(せんぞく)の池」が干(ひ)あがってできた湿地でススキの原であった。
問題は左側である。橋をかけるためには、まず上流の流れのコースを固定する必要がある。現在のように川をふかく掘りさげることはできないし、コンクリートのたかい側壁をつくることもしない。せいぜい土手を踏みかため、桜を植えて根を張らせて丈夫にするぐらいだ。
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10/29 1:53

▼世話係
三ノ輪橋
むかし、ちいさな橋がかかっていた。維新前後の記録だと、長さ五間四尺(約十メートル)、幅が三間(約六メートル)で、どこにでもある規模である。
流れてくるのは、根岸の里をぬけた音無川(おとなしがわ)で、ここで道と交差する。わ上野を背にして立つと、道の右側は「千束(せんぞく)の池」が干(ひ)あがってできた湿地でススキの原であった。
問題は左側である。橋をかけるためには、まず上流の流れのコースを固定する必要がある。現在のように川をふかく掘りさげることはできないし、コンクリートのたかい側壁をつくることもしない。せいぜい土手を踏みかため、桜を植えて根を張らせて丈夫にするぐらいだ。
10/29 1:51

▼世話係
おひさしぶり
散歩以来です。
次回は三ノ輪まで暗渠のうえを歩くのですね。
わたしの次作の「貧民」ものは、日暮里
(新堀にっほり)から三ノ輪の講釈から始まります。よく見てきてください。
三ノ輪橋から山谷堀へ。分岐して泪橋。
10/28 14:14

▼お城大好き
台風一過の晴天のもと
飛鳥山・王子大堰から崖下線路沿いに下郷用水の跡を訪ねて日暮里・荒川消防署音無川出張所まで歩きました。途中貝塚、操車場に寄りました。
次回は日暮里から浅草今戸公園まで歩きます。
10/28 11:12

▼ボート
うーん
水しぶき、
砂けむり、
どちらも賭けるか。。。
こんな私でも仲間に入れますか。
10/27 10:22

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