塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ2090
2013/5/28 8:17
▼わかけん生麦だから生麦酒なるほど〜
RYUさん了解。
5/28 8:17
▼わかけんネット予約しました。15時から9名です。
(10名以上は電話してとのことなので)変更可です。
名前のあがってない人がいたら教えてください。
天気、大丈夫かなぁ。
5/28 8:16
▼世話係12-3『このところ、しんとしてて、かえって気持ちがわりいや』というのだ。『よくなって、ねむっておるのだ』というと、『死にぞこなったか』と笑った。泣いてるようにもきこえたよ」
「そりゃ、おまえさん、よろこんでいたのさ」
「そのあとだ。お袖のやつはこうぬかした。丁稚の辰はすがたを消していたからよいのだが、あんまのやつはずっと足のほうをもんでいやがる」
「お袖はなんともうしましたか」
天にむけたお多可の声がすこしくもった。
「ふん、『にせ医者のくせに、ようやったな』とな」
と、庄左衛門は地にむけていった。うつむくとたたみが鼻のさきにくる。張り替えたばかりだから、藺草(いぐさ)の青くさいにおいがする。
「ま、まあ。ただの、にくまれ口でござんしょうよ」
と、お多可はこたえた。
「うむ、そうだろうがな」
お多可はすぐに庄左衛門の心配がなにかを察していた。幼時から人の気持ちをすばやく知り、それに対応するすべを身につけている女だった。天神橋で初めて会ったときからそうであった。
お多可は中山道ぞいの滝野川村のちいさい小屋でそだった。父が家を出たまま二年、三年と帰ってこない。まだわかい母は、男たちにいいよられる。さびしかったのか、なりわいが不如意であったのか、さそわられるまま、母はいく人もの男とつきあった。やがて、そのうちのひとりと巣鴨庚申塚(すがもこうじんづか)に引っ越して同棲した。そのときから、お多可は余計者になった。男はもちろん母もまた、前夫の子をうとんじた。お多可はふたりの顔色をいつもうかがい、じゃまだと思われるとすばやくすがたをかくした。ひとり納屋にもぐりこんだり、行くあてもない道をさまよった。うまくやって行くために、いつのまにか察しのよさを身につけた。
やがて男は母を説きふせ、お多可を売った。十三のときだ。それが天神橋の岡場所で、二年後に、二十六の庄左衛門と知りあった。
「お多可、おめえはむかしからなんでもすぐに察しがついたな。おめえの気持ちはすぐに目にでるので、相手にわかってしまう。おめえも相手の心がよくわかる。そういうのをなんというのかしらねえが、なんだか生きにくそうだのう」
と、庄左衛門はキセルの吸口をかじった。歯をたてるくせがあるので、鶴の象嵌のついた銀の吸口はちいさい傷がいちめんにできている。
「あれ、あれは、半鐘の音では」
お多可は頭を枕に置いたままいった。
5/28 5:09
▼世話係問題は天気ですね。
5/28 2:07
▼蜘蛛出来たて4杯無料試飲行きま〜す。
宜しくお願いします。
蛇も蚊も祭はものすごく面白いと、馬連がいってました。
だから、私も見に行きますよ〜。
5/27 23:44
▼SYUPOばい、いいですね〜。時間は皆さんのご都合にあわせます。
5/27 21:59