塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2084 2013/5/25 10:53

▼ささ
すいません
よくわかっております。
たしかに提出は20日です。
でも、問題は2日の時点で、それが見通せるようになっているかということで、そういう段階に達しているかどうかということで、そうでなかったらどうしようと……
心配性で小心者と呼んでください。
5/25 10:53

▼わかけん
6月2日
誰でも参加してください。
蛇も蚊も祭と生麦酒。
12時京急生麦駅にしましょう。
祭を見たあと、キリンのビール工場に行きましょう。
5/25 8:30

▼世話係
わからないのですが、
「6月2日だなんて……その時の出来がどうなっているか」と、
さささんが書いてますが、
しゅぽさん、
こんど持ってくるのは
菊一さんではなかったの。
ささんは6月20日でいいのではないの?
よく知らないで書いてます。
5/25 5:19

▼世話係
三角屋敷の正月は
これで終わりです。
あと、12、13、14、15です。
15は、とても短いです。
残り50枚ぐらいかなあ。
ご辛抱を
5/25 4:43

▼世話係
11-12
その十九の娘がこの始末だ。だれがこのようなつらい運命をこの子に負わせたのか。
伊予の足もとにまわった。ふとんをめくると、血と膿みと糞尿のにおいがいっそうつよまり、がい骨のような脚がのびていた。ほんとうなら、みずみずしく、まぶしいほどに白いふとももがあるはずだ。それが、しなびた皮膚に発疹が毒々しくちっている。
「おや」
おしりのしたのぼろ切れにさわっておどろいた。いつものようにはよごれていない。掛けぶとんをめくって、よりよく見えるようにした。陰門のまわりにできた数の子に似たぶつぶつがしぼんでちいさくなっていた。黄色い汁も、まえはしたたりおちていたのが、汗の玉がわきでるほどだ。
 「これは、これは……たんぱん水をください」
といった。
「はい」
と、菊が重箱のふたをあけた。そこに、庄左衛門があたえた水溶液が、たいせつに保存してある。布にすこししたして、伊予の患部をていねいにふいた。
「先生、においがいつものようにつよくないでしょ、ひくっ」
万屋幸助の声がした。喜色をあえて押し殺している。
「暮れにおわたしした奇良湯がききましたな」
と、庄左衛門もちいさくうなずいた。年をこせるかどうか、享保六年(一七二一年)の正月をむかえることができるかどうかと、あやぶんでいたのだ。おなじ症状の者はほとんどが死んでいた。それが、千にひとつか、万にひとつか、良好に転じていた。そっとふとんをかけてやりながら、庄左衛門は目がしらが熱くなるのを感じた。
 「伊予、もうすこしだ、がんばれよ」
と、小声ではげました。
 万屋をでるとき、お内儀のお菊が、
「先生、きつねの干し肉、まだでございますか」
と、さいそくした。
「長崎のほうに、本のことで連絡していただけましたか」
と、万屋幸助がたずねた。すこしでも快方にむかえば、親はたいそうにうれしい。もっとよくなれとねがうのだ。
「長崎までは、徒(かち)と船で四十日はかかります」
と、庄左衛門はごまかした。
5/25 4:36

▼世話係
11-13
すぐに万年町にもどる気がしないまま、油堀のそばにたたずんでいた。入りくんだ堀のひとつだから、おおきな船はとおらない。小舟がときたまぬけて行くぐらいだ。
よどんだ油色の水面を見て、
「土中ふかくに埋葬したはずの小山田庄左衛門が化けて出てきた」
とつぶやいた。どうしていいのかわからない。
 立ちあがると、人けのないほうへ、さびしいほうへと足をむけた。卒塔婆(そとば)と墓石のならぶ場所で、三角屋敷の敷地の頂点であった。すすきが生え、白い穂がふかくたれていた。きょうもからすが舞い、数羽が枯れ木の枝にとまっていた。苔むした五輪のてっぺんにいたのを、手で追いはらうと、ばさはざとものうい羽音をたてて、となりの墓に移った。
 「なさけねえよな」
と、つぶやき、うら長屋の路地にもどった。このあたりに門松はない。「飾り掛け」すらない。やなぎの枝先をささらにして、稲の穂に似せたお飾りで、たいていの家にはあるものなのに、その飾り掛けがここにはない。
「三角屋敷にゃ、正月もこねえのか」
おおきな三毛ねこが板塀のしたのすきまをくぐって出てきた。庄左衛門を見るとおどろき、くわえていたねずみをおとしそうになった。ねずみはまだ絶命していない。ながくほそい尻尾が硬直したままちいさくけいれんしている。ねこは馳走に有頂天だが、ねずみは痛みと恐怖のかたまりになっていた。
ねこと目があった。しばらく見つめあっていると、ねこはねずみをくわえなおし、出てきたばかりの塀をくぐってすがたをかくした。
5/25 4:35

20852083

掲示板に戻る