塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ2083
2013/5/24 23:00
▼世話係ス、スミマセーン2日の件で、お誘いの連絡がないのは
失礼ではないか。
そんな声が聞えてきました。
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主催者は若せんせで、
つぎのように掲示板に書き込んでいます。
*
「ネットで調べると、祭の開始は12時くらいから。
12時に京急生麦駅で待ち合わせますか。
京急川崎まで特急、そして乗り換えて5駅だったかな。」
*
たぶんだれでも参加自由なのではないでしょうか。
5/24 23:00
▼ささハハハなにをご大層なこと言ってるんだか
ちょっと深刻ぶりたい今日このごろ
5/24 14:03
▼世話係締め切りですか。ハハハ。
わたしは深夜「怪」に
書いたものをメールして
終わり。
5/24 13:11
▼ささなんだか煮詰まってしまいフラリと高尾山に行ってきました。
いつもは、一時間に一本だけのバスに乗り、
景信山か小仏あたりから城山→一丁平→高尾山というルートなのですが、
昨日は気まぐれだったので、素直に表高尾、6号を登って稲荷山を下りました。
一時、暗くなったかと思うと雨が降り出して慌てました。が、天気が回復して嬉しかった。
頭と翼が鮮やかなコバルトブルーの、とても綺麗な鳥を見ました。
あれは、オオルリなのかなあ?
5/24 12:21
▼ささキリン工場の生ビールですか?おいしそうなお話ですねえ。
ぜひ、ごいっしょさせていただきたい。そして先生に送っていただきたい。
でもーー
このところ、提出期限に向け、ひたすらパソコンに向かっています。
なのに、なかなか進まなくて、焦っています。
期日に皆さんにお渡しできるのか? はっきり言ってヤバイです。
6月2日だなんて……その時の出来がどうなっているか、考えると怖いです。
5/24 12:20
▼世話係11-11ひくっ、ひくっ。そのようにさとしてやりましたよ」
酒が入るにしたがい、万屋の主人の声はなめらかになり、自分の声に興奮してか、どんどんと高くなった。
「よくぞ、しかってくださいました」
庄左衛門はもうじっとしておられない。ふらふらと立ちあがり、
「さ、それでは、あまり酔わないうちに伊予さんをみてあげたい」
と、酒席をにげだした。
「おい、お菊。中島先生が伊予を診てくださるそうだ。お湯などすぐに用意しなさい」
万屋幸助もあわてて立った。
心ここにないまま井戸端を走りすぎた。もうひと言も小山田庄左衛門についてききたくない。あとひと言で、この中島隆碩こそ、その当人だ。この刀、三原こそが、大石内蔵助からわたされ、おのれが持ち逃げした品だといいたくなる。そうして、みながいうことは、じつにいいかげんなことだ、なにもかもうそっぱちだと抗弁したい。片岡源五右衛門さまからは、なにもぬすみはしない。堀部安兵衛に命じられて大石内蔵助に会いに本石町の小山屋へ行ったとき、たしかに片岡源五右衛門とは玄関の間ですれちがったが、あいさつをかわしただけだ。ああ、世間とは、不忠義をあざ笑うためには、なんでもでっちあげてくれる。根も葉もないことを、もっともらしくいいふらす。なんとせちがらく冷酷なことだろう。
白壁の土蔵に入ると、線香のにおいがあいかわらずこくただよっていた。顔をしかめ、護符だらけの屏風をどけた。桶で手をあらい、気をしずめ、いつもの医師になろうとした。菊がさしだした手ぬぐいで水気をふき、伊予の顔をじっと見つめた。
黒髪がぬけてひたいがはげあがり、左のまぶたはこぶのようにふくらんでうっ血している。苦悶の表情がなくても、無残としかいいようがない。十八、いや、この正月で十九歳になったばかりで、ほんとうなら、黒髪にかんざしやこうがいをさし、見目もうるわしく、花のかんばせと歌われるのがふつうだ。たのしくてうれしくて、わけもなく笑いがこぼれる年齢である。その十九の娘がこの始末だ。だれがこのようなつらい運命をこの子に負わせたのか。
5/24 10:35