塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ2074
2013/5/16 13:49
▼わかけん貧すりゃ鈍行にも乗れまっせん。
ワタシも旅したい。
遠野が呼んでいる気がする。
相馬がおいでおいでしてる。
出雲もいいな。熊野もね。
海を渡って大陸もいいかも。
東京発ハルピン着の大陸横断列車満州号。
妄想はタダでした。
5/16 13:49
▼世話係俳句まずしいと
頭のなかで
旅してる春
5/16 12:51
▼世話係11-4 「刀剣のことはよくわかりませぬが、備後の三原という名刀だそうですね」
と、水野吉太郎がいった。
町名主が塗りぐすりをもって千鳥足で帰ると、庄左衛門は三原を腰にさした。出身の国のことなど、いろいろとたずねられたからか、胸さわぎがしておちつかない。うそにうそをつみかさねた履歴だ。ひとつがばれるだけで、一気に信用がくずれる。
あの日、吉良の茶会が中止になった日、庄左衛門は大石内蔵助の婉曲な忠告にしたがわなかった。小山田一閑の功績をはずかしめてはならないといわれたにもかかわらず、小紋の包みを胸にかかえたまま天神橋へ行った。
小判五枚で早蕨を身請けし、ふたりで板橋宿へにげた。
中山道(なかせんどう)の最初の宿駅(しゅくえき)をえらんだのは、東海道のほうは仲間の者がおおく住んでおり、浅野家の菩提寺の泉岳寺がある。品川には父と姉がいた。いっぽう、早蕨は巣鴨の庚申塚(こうじんづか)でそだてられ、中山道ぞいの土地に勘があった。
夫婦気どりで板橋のはずれの目だたぬ宿に滞在していると、十二月十五日の昼ごろ、赤穂の浪士が吉良上野介の首をとり、泉岳寺の浅野内匠頭の墓前にすえたという話がつたわってきて宿場全体が騒然とした。すこしでもおおくのことを知ろうと、街道を堰どめるほどの人が往来にでてきた。江戸からくる旅人をつかまえて、あちこちで立ち話をはじめた。
数日後、早蕨が四十六人の姓名を記した紙を買ってきた。江戸では、辻売りがかわら版で討ち入りを報じたのかもしれないが、板橋宿にはとどかない。かわりに如才のない筆の立つのが、浪士の名をききだして書き取り、それをまた商才にたけたのが写して売る。
四家の大名にお預けになった者の名が列記してあった。
ひとりひとり、その名を読んでいるうちに、庄左衛門の体ははげしくふるえだし、やがて目から滂沱(ぼうだ)となみだが流れた。
「細川越中守綱利様お預け、大石内蔵助、吉田忠左衛門、原惣右衛門、片岡源五郎、小野寺十内、……十七名。
「松平隠岐守貞直様お預け、大石主税、堀部安兵衛、木村岡右衛門、大高源五、……十名。
「毛利甲斐守綱元様お預け、岡嶋八十右衛門、倉橋伝助、……十名。
「水野監物忠之様お預け、間十次郎、奥田貞右衛門、神崎与五郎、……九名」
数えて見ると四十六名だ。
5/16 9:10
▼水前球形の荒野どこの国も問題ば抱えとります。どこの国にも善人悪人、金持ち貧乏人、賢人愚人、勤勉怠惰おります。楽園はありまっせん。
一番ひどかつは中国とアラブでしょう。
5/16 8:40
▼世話係最近貧しいなあ。
頭のなかだけで
旅をしています。
山頭火にしろ円空にしろ、
ぶらぶら歩きで
生涯を送れたのは、
環境がよかつたからでしょう。
いまではできない。
つまらん社会を作りましたね、
大久保さん、諭吉さん。
5/16 3:15
▼世話係あのその「侵略」の定義がはっきりしていません。
なるほど、はっきりさせると、
日本は米国に侵略されているいることになる。
基地なくて平和な台湾もある。
5/15 16:47