塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2061 2013/5/6 3:01

▼世話係
どうにか
荒削りですが、
311その前夜
一稿目、終えました。
370枚も書いたみたい。
こちらは危機脱出、
あちらは依然として赤信号。
廃炉の見通しなど断たない。
下請け労働者が辞めたといえば、
まったく方途なし。
平気で外遊できますね。
5/6 3:01

▼世話係
10-9
「では、行ってまいります」
 「たのむげや」
と、安兵衛は朴訥(ぼくしつ)にこたえた。庄左衛門があおぎ見ると、安兵衛は腑ぬけのような顔になっていた。
 「命ながらえたか」
 林町五丁目の道場をでて、竪川(たてかわ)にそって歩きだしたとき、庄左衛門の心に浮かんだのは、そのことであった。いつまでながらえたか。それはわからないが、数日は生きていられる。
「また、早蕨に会えるのか」
と、ふるえる言葉でつぶやいた。すると、すぐにも会いたくなった。いまは竪川を西にむかっているのだが、川岸を反対の東へむかい、十間川にぶつかると半里とすこしだ。天神橋のたもとちかく、稲の株が点々とするさきに、地獄宿の農家がある。だが、姉のみ津からもらったカネはもうない。ふところはからっぽだった。
 「あぶのうございますよ」
と、荷車を引く男にいわれた。きりりと鉢巻をしている。
 「これはうかつであったな」
と、年配の男にあやまった。
河岸のにぎわいを耳にし、行きかう荷船をながめて、そういえば波勝楼以来、天気や人びとの暮らしにまったく関心をうしなっていたことに気がついた。いまあらためて頭上にひろがる空をながめた。
 「よくはれていやがる」
 冬の空気は透明で空は青一色であった。水底をのぞきこむと小石が見えるように、青い空のむこうに星がすけて望めそうであった。
二ツ目之橋で竪川を北にわたり、吉良邸のながい土塀のそばを通った。庭木のおく、いまこのときにも、浅野内匠頭がなにもしらずに安穏としているのだろうか。そのように思うと、かっと血がたぎった。ほんとうならば、あすの夜に、手に手に得物をもった五十人前後の者がなだれこんでいた。
 「悪運のつよいやつだ」
と、思わずにはいられない。二人づれの武家がゆっくりと歩いてきた。吉良の家来だが、緊張しているふうでもない。毎日の見まわりに倦んでいる足さばきである。
 かるく頭をさげてすれちがった。もうこのあたりは、回向院(えこういん)にまいる人のすがたもあって、見ず知らずの者でもあやしまれない。
両国橋の広小路にでると、どこからわきだしたかというほどの人であった。だれもがのんびりと泰平の世をたのしんでいた。門前の茶店で菓子を食うおなご衆、よしず張りの見世で買物をするおのぼりさん、そば屋や飲み屋にしけこむ番頭などだ。
5/5 9:59

▼岡坊
そんなふうに、
考えたことがなく、
あらためて調べてみると、関心をそそられています。
先生がみたら、もっといろいろ興味深い見方をするだろうなあ。
なんて、思いながら、周っています。
5/5 9:54

▼世話係
淡路は近代以前は
神戸、大阪、和泉、奈良、徳島、瀬戸に通じるターミナルですからね。
ちょっと関心をそそられました。
5/5 3:49

▼岡坊
さすが
イビまで行かれたんですか。人も住めない小さな島です。
岩神もありますが、漁師の神です。
調べれば、いろいろでてきますね。
5/4 21:01

▼世話係
うん
イビ。思い出しましたぞ。
そばを通りました。
鳴門の橋の北ですね。
なにもない島か。古墳だったのか。
江井から洲本までの路線バスにも乗りましたよ。婆さんばかりで、爺さんはワレひとりでした。
淡路は調べたかったのです、十数年前。
5/4 19:04

20622060

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