塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2060 2013/5/4 18:57

▼世話係
沖ノ島、ネットより。
この島は海島古墳といわれる形状の首長たちの墓なんです。
遡ること今から1700年前・・時は弥生時代から古墳時代へ。
海人とは水夫として海上交通に働くだけでなく、優れた操船技術を持ち、航海、交易、漁業、塩業のも長じていた部族で
淡路島では南の御原の海人、北の野島の海人と二手に別れ、大和朝廷に奉仕する関係にあったようです。
この地の漁業を開拓した海人族はここに17・18基の横穴式石室古墳と小型の竪穴式石室古墳を作りました。
この古墳からはたくさんの須恵器、土師器、各種玉類などはもちろんのこと
漁具(釣り針やオモリ、軽石製の浮き、蛸壺形の土器)などが出土していることで
全国でも珍しい古墳なんですよ。
彼らには独自の来世観があったようで「海の彼方に死者の行く世界、黄泉の国あるいは常世(とこよ)がある」
と信じられておりこのような海島古墳が作られたと考えられています。
そんな先祖たちの荒々しい潮の流れに負けずこの鳴門海峡に挑んだ海人族の血を受け継いだ漁師さんたちに敬意を払い
現代の淡路島の“食”の一端を担う誇りを持って日々の仕事に取り組まないといけませんね。

うまく書いていますね。
5/4 18:57

▼世話係
福良湾に
あるのですか。
エビス神社があるとか。
隣の煙島には厳島が。
ネットの地図にいいたいのは
橋や島や湖水の名をちゃんと記せ。
5/4 18:52

▼岡坊
へえ。そうなんですか。
江井と明日香村がつながるんだあ。
江井から洲本まで路線バスが通っているので、直線でいけます。
洲本の由良港には行ってきました。南で枝分かれした紀伊水道が流れています。
沖ノ島は福良の西よりで伊毘(イビ)というところにある小さな島です。
イビという地名も地名辞典によると、南島に関係があると書かれていました。
昔の海人は、北から南まで、どこまでも航海したようで面白いです。
5/4 17:55

▼世話係
いいですね、瀬戸と紀伊水道
江井、一宮神社、洲本、紀伊の川、明日香村のコースも考えてみて。
一年に一度、いざなぎに奈良の天皇がお参りしているときがあったとか。
沖ノ島はどこにあるのですか。
5/4 16:41

▼岡坊
くすくす。
キャスターも同じような顔になってきましたねえ。
円安で、原油も肥料もあがり、漁師も百姓もひーひー、言ってるのにね。
南島のニライカナイを思わせる古墳があるという沖の島の近くまで行ってきました。
夏なら泳いで渡れる距離なのですが、
船をチャーターしないといけないようで、遠くから眺めるだけでした。近くには鳴門大橋が。
小さいころは徳島は遠く感じたのに、今は、とても近く感じます。
今度は遊覧船に乗って周りたいものです。
また、古い町並みが残されている、さらに南の沼島に行こうと思っています。
あっちこっちめぐり、海と山に眩惑されそうでした。
5/4 15:56

▼世話係
ああ、そうでしたか、
乞胸のときも紀伊国屋で小沢や安倍と。
モンタージュは
社員の計らいだっのか。
謝謝です。
鳴るとの神、見えましたか。
5/4 14:40

20612059

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