塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2057 2013/5/2 15:18

▼わかけん
わくわくしますね
刀を抜かれても強気の直助。
根っからの悪党か。
あの世からの声も聞こえてきます。
嗚呼、忠臣蔵の裏のウラ。
ドラマ剣は最高潮に向かってまっしぐらですね。
5/2 15:18

▼世話係
10-6
「よし、わかった。あるじのカネをくすねるような下男をほっておくのは、わが沽券にかかわる」
と、庄左衛門は声をつよめて断じた。
そのときだ。
壁ぎわの仏壇のとびらが音をたてて閉まった。庄左衛門は頭から冷水をあびせられたようにおどろいた。一陣の風が吹きこんだように、ろうそくのほのおがゆらぎ、父の一閑の声がした。絶望していまにも息がつまりそうな、かすれ声だ。
「わが子、庄左衛門。いま、おまえが手にしている三原はだれのものか。そいつをくすねた野郎はどこのどいつだ。もはや、わすれたか」
と、父はとがめた。
「は、は、は」
庄左衛門はうわついた笑いをもらした。「はい」ともこたえられないまま、「は、は、は」と笑った。お多可も直助もそのたかい声を耳にしただろうが、なぜ笑うのか、真意はわかるまい。
 「父上、六日の茶会が延期になりました」
と、仏壇をふりかえった。自分でも見ぐるしいとわかっていながら弁解した。吉良邸での茶会の延期が、番ぐるわせの発端になった。
 「もし延期にならなかったならば、父上」
と、これまでなんども、おのれにむけていったことを一閑に話した。
十二月六日に討ち入りが決行されていたならば、小山田庄左衛門の名は義士のうちにあって、翌年、元禄十六年二月四日には仲間といっしょに切腹して果てた。墓は泉岳寺の境内の南の丘に、いまの四十七士の墓列にならんだ。
「吉良邸の茶室びらきが延期になったのです」
とくりかえした。
延期のしらせがつたわったのは、十二月五日の日ぐれ時であった。明日の夜半に仲間が身につける物、装具や武器を庄左衛門は点検していた。二階の押入れにもぐりこみ、まさかり、げんのう、呼び子笛の数をしらべていたとき、階段をあがってくる足音がした。すぐに堀部安兵衛の野ぶとい声がした。
 「小山田、準備はよいってば。ほかに頼みたいことができた」
ふきげんであった。いつもは愛想がいいというのではない。学問もあるのだが、やはり高田馬場のあだ討ちで名を馳せたからか、武張ってぶっきらぼうだ。押しつけるように命令するのがならいだ。が、それにしても、このときの声は、これまで耳にしたこともないほど乱暴にきこえた。
 「はっ」
 小山田庄左衛門はすぐに警戒して、全身に気をみなぎらせた。なにをいわれるのかわかったものではない。覚悟して、しりをさきに押入れからでた。
5/2 10:09

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