塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2050 2013/4/21 8:34

▼世話係
9-3
 「理屈をいうでない」
 お師匠がぴしりといい、うたがいぶかい目つきで、つやをじっとにらんだ。
 「あのう、わしは米を研いだり、湯飲み茶わんの茶しぶをこすりとったりしていた。見世のことまで気がまわらねえ」
 つやは口をとんがらせて仏頂面になった。
 「さきに、『大黒屋でした』といったではねえか。ありゃ、なんだ」
上半身をおこしたまま、先生はほそい目をいっそうほそくした。肉のない顔に皮膚がはりつき、だぶついた皮はあちこちでしわになっていた。口の左右にたれたひげには白髪がまじり、おまけにちりちりにちぢんで、枯れたつるのようだ。
 「へえ、いいましたが、あれは、あれは、先生がきゅうに、『大黒屋がこなかっか』ときつくいったものだから、びっくりして思わずくりかえしてしまった」
と、うまくいいのがれた。口は重宝なのだ。
 「つやは直助をかばったりはしねえよな」
と、お師匠はまだ見つめている。
「するもんか」
つやはりきんでいった。
「上州もんはきらいだったか」
と、お師匠は先生にむけてたずねた。
「ああ、そのこたあ、おれがきいた。これ、つや、もういい。おめえと話してると、なんだかいらいらする。酒がまずくなる」
先生は体をうしろにたおして、お師匠のひざにふたたび頭をのせた。
 「もう、寝ていいさ」
お師匠は先生の背に着物をかけなおしてやりながら、言葉だけをつやにむけた。
「へえ」
もっとたずねられると覚悟していたのに、ひょいと窮地を脱していた。つやは障子をばあんとしめると、つめたい板の間をつまさきでふんでへやにもどった。
ここには火の気はない。
板戸をしめるや、長櫃(ながびつ)にくっつけてしいたふとんにもぐりこんだ。しばらくは、氷のようなつめたさだ。わざと歯をがちがちと鳴らし、体をぶるぶるとふるわして気をまぎらわせた。おのれの体でふとんをあたため、こんどは、そのふとんの熱で体をあたためる。そんなことができるのがなんともふしぎだ。
やっと人心地がつくと、直助のやつ、なぜ大黒屋のことをかくしたのか気になりだした。ふとんから頭をつきだしてみると、先生とお師匠がまだいいあっている。手をのばして、音をたてないように板戸をすこしあけた。つめたい風が流れこんできたががまんした。
「ねえ、おまえさん。きつねの肝はいくらぐれえのもんか」
と、お師匠がきいている。
4/21 8:34

▼お城大好き
谷田川と道灌山の事
本郷通りからチョット入った滝野川不動前が最低地になる。と説明がありました。
昭和34年4月30日地理調査所発行1万分1地形図と見比べながらの散策となりました。
谷田川の谷は、地形学的に言えば古い時代の石神井川の流路であった。後氷期の有楽町海進により台地の崖が急速に退く中で河川争奪を起し隅田川方面に流路を短絡した。王子から先の旧流路は空谷になり、その後流路の面した枝谷から小流が流れ込み旧流路に水を供給した。大きな水源の一つに藤堂家抱屋敷と幕府お御薬園の間の長池がある・・・と記載されてます。
4/20 21:24

▼世話係
城と川ですね。
滝野川第3小学校を通っていたのですか。
ま、流路の幅は広かったか。
あちこち分流してたのでしょう。
霜降商店街は見立て通りでしたね。
4/20 18:53

▼お城大好き
「陽春の谷田川通りを歩こう」で
小雨の中飛鳥山博物館、滝野川から不忍池まで古い時代の石神井川の旧流路(滝野川第3小学校校庭のボ-リング調査で確認出来たそうです)を体感してきました。上流から染井銀座-霜降銀座-田端銀座-よみせ通りと感じの好い商店街が続いていました。以前御成道を歩いた時より坂が無いぶん楽でした。
4/20 17:57

▼大魔神α
産声
アルアルアルアルアル
アルファー!
4/20 17:19

▼世話係
バレましたか
指名手配を受けてるわけじゃないのだから、
あんな☆褌で隠さなくてもいいのに。
4/20 15:10

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