塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2044 2013/4/14 17:17

▼ミラクル大魔神
吉報
地震により目覚めました。
名前も一新して大魔神αと名乗ります。

大魔神の涙の復活とかけて
安倍首相ととく
そのこころは?

待ってました!
4/14 17:17

▼岡坊
うないおとめですか。
私なら、もっといい男がいるんじゃないかと、第3の男をみつけるなあ。
あんな伝説、男の幻想じゃないの。
と言ったら、顰蹙を買いました。
でも、咲さんは出会えたらいいですね。
4/14 15:43

▼咲
思い出します
岡坊さん、びっくりなさったでしょう。無事でよかったです。私の神戸の知人も、何人か聞きましたら無事でした。
ただ、思い出した、と言ってました。18年前のときと同じ瞬間が戻ったような。
私も同感です。311のとき、その地震よりも、阪神淡路を思い出して、涙が出てこわかったのです。過去の痛みは消えていないんですね。身体に、残っているんだと思います。

ようやくそろそろ仕事のピークが過ぎて……今週の半ばから、創作に打ち込めそうです。木曜日はすみません、行けません。月末に、うないおとめに会いに(会えたらいいなぁ)神戸に行きます。それまでに、おおよその方向を、テキトウに探ります。るるる〜。
4/14 12:38

▼世話係
8
「おい、おい。人のこたあ気にしなくてよいさ。てめえの肝っ玉の番をしてるがよい」
 相手が年上でも庄左衛門は遠慮なくいった。小山田家は二百石、倉橋伝助は二十石五人扶持でしかなかつた。
 「ほっ、さすが、小山田。なかなかいいことをいうね」
と、倉橋伝助はまだからんでくる。
「ご城代がいつもいわれたでねえか。去る者は去るにまかせよと」
と、大石内蔵助を引きあいにだした。
 「生意気いいやがったあとで、大夫さまのふところに、にげこみやがる。こやつ」
と、倉橋伝助が手をあげかけたのを、
 「おいおい、八つ当たりはよせ」
と、木村岡右衛門がとめた。こちらは四十代なかばで、堂々たる体躯をしていた。浪人してからは顎ひげをつけていかめしいが、八歳と七歳の男の子がいた。そのせいか、ふるまいはいつも慎重で、義盟にもすぐにはくわわらなかった。家族との別れのつらさは庄左衛門の段ではなかろう。
翌日の十二月四日、こんどは田中貞四郎が脱盟した。やはりお小姓で、浅野内匠頭の身ぢかにつかえていた。
 「田中のやつ、あのようなざまになったのを恥じたのではなかろうか」
という者がいた。夜鷹から楊梅瘡(ようばいそう)をうつされて鼻が欠けてしまった。波勝楼では顔の下半分を手ぬぐいでかくしていたが、露出した上半分も、眉毛がぬけ、目のふちも赤く膿んでいた。面貌を恥じる気持ちがつよまって、討ち入りの晴れ舞台から身を引いたということもありえた。そのことをいったのは、近習の片岡源五衛門で、庄左衛門その意見にうなずいた。
 つぎつぎと義盟から去って行った。
その者たちがその後、どこでなにをしているのか。江戸にいるのかいないのか。生きているのか死んでしまったのか。庄左衛門は脱盟者たちの行方をずっと気にしてきた。市井に身をひそめて暮らしているのだろうが、凧の糸がぷつりと切れたように、消息はきこえてこなかった。
きょう十二月十四日、庄左衛門とおなじように、線香をあげたいと墓前にたたずむ者もいないとはいえまい。だれかがくるかもしれない。もし出会ったならどうすればいいのか。ばつがわるいのはおたがいさまだが、相手が脱盟者ならまだいい。もし相手が四十七士の遺族とか遠縁の者だったらどうする。
なんといってわびればよいのか。
 言葉でわびてすむものだろうか。
金杉橋をすぎるといつのまにか海が左手すぐそばにあらわれた。
4/14 8:46

▼世話係
がっこ
18日は、山内弘新作集
とくに、『ガダニーニの弦がつなぐ』を中心にしましょう。
音楽一族のサーガです。
死者は静かに眠り、聖者は騒ぎ立てる。
いつの世も。
4/13 18:09

▼世話係
さあ、
わたしのホラかも。いつもの。
4/13 18:05

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