塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ2041
2013/4/11 0:38
▼世話係6姉さのおかげでといったのは、このようなことをふくみこんでの言葉であった。み津の輿入れを機に、庄左衛門は堀部安兵衛が本所林町にひらいた道場に住みこむことにした。
「庄左、ほんのわずかですまないが」
と、み津はふところから包みを取りだした。小判とわかるおもさであった。
「こんなことせんでええ。もうつかうこともねえ」
と、かえそうとすると、
「いいの、みんなとなにかおいしいものでもたべて」
と小声でいい、いちょうの幹に手を置いて体をささえた。
「かさねがさね、すまねえ」
「なに、水くさいこといって」
「姉さ、ことがことだ。たぶん親戚にも類がおよぶだろうよ。もうしわけないけれど、そのときには、おやじを頼みます。駿河屋さんにもよくよく事情を話してあやまっておいてくだされ」
と、いいのこした。ちょうど貝右衛門は商用で信州諏訪へでかけて留守にしていた。
「庄左、姉さはおまえが不憫でしかたがねえ。あたしが男だったらなんぼよかったか」
み津は赤い布で目もとをおさえ、ついにしゃがみこんだ。
あの十二月三日が父と姉に会った最後になった。
姉はいまでも駿河屋にいるだろう。二十年ちかくの日がすぎたのだ。子をさずかっていてもおかしくない。たまに会いたい気分になるが、会えば姉の悲しみがふかまるだけだろう。
汐留橋から東海道に出ると、人や駕籠、馬の流れが頻繁で目まぐるしい。江戸はあのころから、さらにおおきくなっていた。赤穂浪士の吉良邸討ち入りでもって元禄が幕を閉じた。あれから、宝永、正徳、そして享保と元号は変わった。将軍も綱吉、家宣、家継、吉宗と代を継いだ。いまの将軍吉宗は、町人の大石内蔵助びいきをきらって、忠臣をあつかった浮世草子をつぎつぎと発禁にした。願いが成就して終わったはずの「かたき討ち」が、いまだに世間をさわがせているのは、政事をわすれたご公儀へ物申す態度が大石内蔵助の腹にあったからだろうか。
道の右手に増上寺の朱塗りの大門(だいもん)が見えた。どこぞの大名が参詣しているのか、武士がおおぜいたむろしている。馬のいななきもきこえた。おおきないらかの門の背後には、もっとおおきな本堂があり、そのうしろには、さらにおおきな森がひかえている。
ここまでくると、泉岳寺までは一里もない。
早く行きたいが、おのれは行くことができるだろうか。主君・浅野内匠頭の墓はひろい境内の南の丘にできた。
4/11 0:38
▼世話係6姉さのおかげでといったのは、このようなことをふくもこんでの言葉であった。み津の輿入れを機に、庄左衛門は堀部安兵衛が本所林町にひらいた道場に住みこむことにした。
「庄左、ほんのわずかですまないが」
と、み津はふところから包みを取りだした。小判とわかるおもさであった。
「こんなことせんでええ。もうつかうこともねえ」
と、かえそうとすると、
「いいの、みんなとなにかおいしいものでもたべて」
と小声でいい、いちょうの幹に手を置いて体をささえた。
「かさねがさね、すまねえ」
「なに、水くさいこといって」
「姉さ、ことがことだ。たぶん親戚にも類がおよぶだろうよ。もうしわけないけれど、そのときには、おやじを頼みます。駿河屋さんにもよくよく事情を話してあやまっておいてくだされ」
と、いいのこした。ちょうど貝右衛門は商用で信州諏訪へでかけて留守にしていた。
「庄左、姉さはおまえが不憫でしかたがねえ。あたしが男だったらなんぼよかったか」
み津は赤い布で目もとをおさえ、ついにしゃがみこんだ。
あの十二月三日が父と姉に会った最後になった。
姉はいまでも駿河屋にいるだろう。二十年ちかくの日がすぎたのだ。子をさずかっていてもおかしくない。たまに会いたい気分になるが、会えば姉の悲しみがふかまるだけだろう。
汐留橋から東海道に出ると、人や駕籠、馬の流れが頻繁で目まぐるしい。江戸はあのころから、さらにおおきくなっていた。赤穂浪士の吉良邸討ち入りでもって元禄が幕を閉じた。あれから、宝永、正徳、そして享保と元号は変わった。将軍も綱吉、家宣、家継、吉宗と代を継いだ。いまの将軍吉宗は、町人の大石内蔵助びいきをきらって、忠臣をあつかった浮世草子をつぎつぎと発禁にした。願いが成就して終わったはずの「かたき討ち」が、いまだに世間をさわがせているのは、政事をわすれたご公儀へ物申す態度が大石内蔵助の腹にあったからだろうか。
道の右手に増上寺の朱塗りの大門(だいもん)が見えた。どこぞの大名が参詣しているのか、武士がおおぜいたむろしている。馬のいななきもきこえた。おおきないらかの門の背後には、もっとおおきな本堂があり、そのうしろには、さらにおおきな森がひかえている。
ここまでくると、泉岳寺までは一里もない。
早く行きたいが、おのれは行くことができるだろうか。主君・浅野内匠頭の墓はひろい境内の南の丘にできた。
4/11 0:36
▼世話係庄左衛門は赤穂城下で生まれ、江戸に参勤して、そのまま鉄砲洲の屋敷にいた。途中一度だけ、お国入りした。
松の廊下の事件後、父も姉も江戸へ来て、
5の話になる。
4/10 10:16
▼世話係5大石内蔵助は主君の弟の大学さまによる、お家の再興を企図し、隠忍自重するようにみなを説得しつづけた。
ぐずぐずと一年半がむだにすぎたことになる。
それが、やっと大詰をむかえている。
父の一閑もまた感無量であったろう。退出する庄左衛門をうわ目でじっと見つめた。これで見おさめになるという思いが表情にあらわであった。落ちくぼんだ目がしばたたいた。のちになって、庄左衛門はその顔をなんども思いだし、そのたびに泣きたくなった。
見送ってきたみ津が駿河屋の庭で、
「いよいよですね」
と、念をおした。数か月まえに父を見舞ったときは黄いろい葉が天にむけて燃え立っていたいちょうの大樹が、ごつごつとした幹と枝だけになっていた。
「姉さのおかげで、おれは一念をつらぬけたのじゃ。ありがたいことに思うとります」
と、庄左衛門はお国のなまりでいい、ふかく頭をさげた。
下向(げこう)してきた父と姉といっしょに、目黒不動尊ちかくの長屋に住んだ。ひさしぶりに家族の者がひとつ屋根のしたで暮らすことになった。
母にかわって父のめんどうを見ていた姉は、行かず後家になっていた。庄左衛門よりも二歳年上、世間でいう大年増(おおどしま)であったが、三味線ができた。なによりも品のよい顔をしていた。一家のたくわえが尽きかけると、み津は品川の宿場へはたらきにでた。飯盛り女といわれる春をひさぐ一味になったのかどうか、庄左衛門はこわくてきけなかったが、目黒川をのぼりくだりする乗合船(のりあいぶね)でたまたま同席した駿河屋の主人の目にとまった。品川宿のなかほど、荏原神社(えばらじんじゃ)のそばで祭り半纏(はんてん)の問屋(といや)を営んでいる富商で、はやり風邪で妻を亡くして三年ほどがたっていた。
「嫁にほしい」
という申し出が人を介してあった。
「いろいろと事情がある家でございます」
と、小山田一閑はこばんだが、
「ぜひにくだされ。当方が町人、そのうえ後妻なのがご不満なのは重々に承知しておりまするが、そこを推してのうえでのおねがいでございます」
一か月ほども使者が、品川荏原神社と目黒不動尊のあいだを往復した。
米びつがからになると父もおれた。
「どうぞ、離れがあいておりまする」
と、駿河屋の貝右衛門(かいえもん)は三十代のなかばであったが、笑顔をうかべて老父・一閑を離れにまねいた。
4/10 10:09
▼世話係4山鹿素行の話もよくでたが、一閑はなかなか医術にも造詣がふかかった。わかいころから病弱だったので、医書をひもといて調べたらしい。『医心方』などの写しをもっていて、庄左衛門に読み聞かせた。それらの知恵が、のちの身すぎ世すぎに役立った。
武芸のほうも、わざわざ朋輩(ほうばい)の腕自慢にたのみ、仕込んでもらう熱心さだった。
庄左衛門が十五で元服すると、父はすぐに家督をゆずって隠居した。
瀬戸内に面した赤穂は、山が海にせまっていて田がすくない。それをおぎなうかのように塩浜(しおはま)が発達し、藩の財政をささえた。海水をくんで砂にまく作業はきついが、それは浜子(はまこ)仕事だ。武士はそこからのあがりを受けとるだけだ。夕べがちかづくとなにもすることがない。いいだこや穴子をつまみに安酒屋で飲むぐらいだ。
二年ほどお国でつとめたあと、庄左衛門は参勤の行列にくわわり江戸へでてきた。ちいさい城下町に住む父と姉をたまには心配したが、退屈な日々からぬけだせたことをひそかによろこんでいた。
主君の刃傷の沙汰と切腹のしらせは、鉄砲州の上屋敷にすぐにもたらされたが、こういうことこそ、青天の霹靂というのであろう。朝にはだれもが思いもよらないことがとつぜんにおこり、日暮れ時にははや殿は切腹されていた。だれもが茫然自失し、夢ではないかと目をこすったが、すぐに鉄砲州の上屋敷と赤坂の下屋敷の返上も命じられた。引越し支度にとりかからなければならなが、行くさきもきまってない。
西国、赤穂の町も一変した。一日の半分を寝てすごしていた一閑が、杖をたよりにむかしの仲間をたずねて城下をさまよった。み津は家紋入りのちょうちんをもって、毎夜、家の門前でまちつづけた。そのように手紙にあった。駕籠でやっと帰宅した父は、老いの身でなにもできないのをなげきつづけた。
主君の百ヵ日の法要は、江戸では泉岳寺でおこなわれた。庄左衛門は参列し、殿の無念をはらそうといきまく者といっしょにいた。赤穂では花岳寺(かがくじ)で法要がもよおされ、父と姉はその法事をすましてから江戸へくだってきた。大石内蔵助からあたえられた割符金(退職金)と、少々の道具を処分した金子をもっていた。家来のおおくが、すぐにも吉良上野介を討つつもりでいたが、大石内蔵助は主君の弟の大学さまによる、お家の再興を企図し、隠忍自重するようにみなを説得しつづけた。
4/9 10:06
▼ミラクル大魔神惜別一身上の都合により引退します。
いままで応援ありがとう。
じい様、泣かないで。
4/8 15:04