塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2036 2013/4/4 12:49

▼小梅村
本日
見学に伺おうと思っています。
4/4 12:49

▼世話係
これで第二章
「手習い」が終わります。
つぎの章があの「三角屋敷」です。
仏壇屋の前でお袖が待ちかねています。
4/4 8:51

▼世話係
12
先生にゃ、悪気はないさ」
お師匠はお歯黒の歯をむいて、たのしそうに笑った。
 「ちっ。勝手なことをいいちらして、よろこんでやがる。笑いたきゃ笑え。おい、つや。今夜はきつね汁だんべえ。こんなとこで、あそんでいねえで、ちょっと台所へきて手伝いやがれ」
 ふいにつやにむけてつよくいった。
 「直助、きつねはふとっておったか」
と、お師匠はまだおかしがっている。
 「ふとっていようと、やせていようと、どっちにしろ化けてでるべえ」
 ぶすりと直助がこたえた。
 「わしはいやだ」
 つやはおおきな声をはりあげた。
 「なに」
と、直助がおどろいた。
 「つや、なにをこわがってる。化けたりするものか。直助はああやって、われらをおどしてるだけさ」
お師匠はつやのやきもちに気がつかないで、のんきなことをいっている。
 「わしは座敷の片づけをしなけりゃならねえ。お師匠さんにいわれたばかりだ」
と、つやは意固地になった。
 「うんだべえ。じゃ、掃除がおわったら、すぐにきて大鍋に湯をたっぷりとわかしてくんろ」
 直助はきげんをとる声になり、ひとりうなずくと、つやがなにかいうまえに胆の皿をかかげておくへむかった。肩だけをえらそうにいからせている。
 「ふん、勝手ばかりいう」
 つやもまたむくれた。

4/4 8:49

▼世話係
11
ふたえまぶたのすずしい目がちらりとつやを見たので、思わず手でえりもとをおさえた。
 「ほら、これを先生に見せようと思ったべえ」
おおきな皿に赤いかたまりがあった。ぬるぬるとして、うすくらがりのわずかな光もはねかえし、みんなの目をすいよせた。
「まあ、りっぱな肝(きも)だこと」
お師匠がよろこんだ。
「王子(おうじ)のきつねだべえ。えっれい、おおきいから先生に見せて、門前仲町の大黒屋にもって行くのかどうかききたかった。いってえ、どこへでかけたべえ」
土間からのつめたい風に血のにおいがまじった。肝だけではなく、直助の全身がにおっている。つやは顔がほてり、息ができなくなった。
「先生はな、三角屋敷(さんかくやしき)へ行かれた。ちょうど手習いの子がきてさわがしくなったし」
と、お師匠はいった。
「三角屋敷へか」
直助の声がとつぜん変化した。やさしい顔がこわばり、右目のしたのあざが赤くなった。
「仏具の万屋(よろずや)からむかえの者がきたのさ」
「なんでひとりで行きなすった」
「おまえがきつねをさばくのがいそがしいからではねえか」
「くそっ」
「仏具屋の『たいへん』は、毎度のことだからたいしたことではあるまいといわれ、くすり箱はむかえの小僧にもたせておでかけだ」
「なんでおれにひと言いわねえ」
直助の濃いげじげじの眉が眉間に寄った。
「これ、なんというものいいか、直助。雇(やと)い人のおまえにいちいち、でかけてよいかどうか、おうかがいをたてねばならぬ道理はないさ」
お師匠はしかるように、きっぱりといった。
「そうじゃぁあんめい。人がこうして血まみれになってやってるのに、あっしをほっておいて、ひとりででかけるなぞ、実(じつ)がねえ仕打ちだんべえ」
直助は口をとんがらしてふくれた。
「わかった、そうであったか。これはあたしがぼんやりだった。あそこにゃ、お袖がいたか。それで、おめえ、先生といっしょにでかけたかったのだな」
「げっ」
おかしな声をもらしたのは、つやであった。あわてて手で口をおおい、直助をうかがった。
 「そんなことではねえ」
直助は声をつよめ、つやをにらみつけた。
 「ま、ゆるしてあげなされ。ははは。先生にゃ、悪気はないさ」
4/3 9:29

▼世話係
第二章
あと2回です。
4/2 13:55

▼世話係
10
よだれが欠け歯のあいだから地面へつうと流れおちるじじいは知っておるが」
「まあいい。話の腰を折るでねえや。どこまで語ったかわすれてしまったさ」
「わかいころにゃ、酒ぐせがわるくて短気だったというところまでだ」
「そうだ。酒ぐせがわるくて短気だった。ある日、酒席でいい争いになったとき、そばに買ってきたばかりの刀があった。かっとなって抜いて斬りつけてしまった」
「へえ」
「だがな、つや。なにがさいわいするかわからねえ。その刀、見てくれはよいが、いちど火をくぐったなまくらで、まったく斬れねえ。おかげで相手は浅い傷を負っただけですんだ。酔いもさめた有徳の人は、ほっとするとともに、ふかく反省し、以後、禁酒をちかった。なまくらの刀を箱におさめて梁につり、毎朝おがんで、おのれのいましめにしたというのさ」
「へえ。先生がだいじにている刀が、そのなまくらなのか。鞘は白塗りでなくて、黒塗りだけれど」
と、つやはさきまわりしてたずねた。
 「ほっほっ。つや、おなじ刀ではないさ。けれどな、先生は先生で、有徳の町人とおなじように、あの黒い鞘の刀がたいせつなのさ」
といい、お師匠は床の間の刀掛けをちらりと見た。そして、ながい溜息をもらした。
 「それで、先生の刀にゃ、どんなわけがある」
と、つやは声をはずませた。知りたくてたまらなくなった。
 「それをいうと、あたしがしかられる」
と、お師匠はつぶやき、キセルの灰を火鉢にたたきおとすと立ちあがった。
「さ、話はおしまい。つやは火鉢の炭をひとつにあつめ、それから、座敷のそうじをしなされ」
 「へえ」
がっかりしたとたん、さきほどまでの不満が舞いもどってきた。机のうえの紙切れやすずり箱をながめてうんざりした。子どもはよごしたいだけよごして帰っている。掃いたり拭いたりに、うんと手間がかかる。すずり箱をあつめて洗わないといけない。大儀な気分でぐずぐずとしていると土間に足音がして、
「先生はどこへ行かれたべえ」
という、直助の声がした。
 「おお、直助か」
お師匠が立って行き障子をあけた。
 つやはあわててすわりなおし、びんのほつれをかきあげた。ふりむくと、直助は土間の通路に立っている。お師匠の腰のたかさに直助のあさ黒い顔があった。ふたえまぶたのすずしい目がちらりとつやを見たので、思わず手でえりもとをおさえた。
4/2 13:48

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