塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ2025
2013/3/20 21:17
▼わかけんお彼岸だからではないですが、岐阜の実家に帰省中です。あした新幹線で神田に行きます。
あしたは少ないですね。
最後なのにすいません。
3/20 21:17
▼世話係天チューで亡国か。
3/20 21:12
▼世話係冒頭です。段落の一字下げが正確に出ていません。
原発のニュース
すくないね。崖っぷち人生か。
3/20 9:34
▼世話係深川三角屋敷深川三角屋敷
一、備後三原
銀白色の刀身をまっすぐに立てた。
映っているのは老年の男のつらだ。四十四という年よりはふけ、眉間のしわもふかい。口の左右にたらしたひげに、いつしか黒い毛よりも白い毛がおおくなった。ひょいと頭に手がいった。朝にきれいに剃ったが、一日も暮れ、しかも真夜中になれば、また伸びてざらついている。
柄(つか)をにぎる手をわずかにうごかすだけで、刀身はほそくなり、見たくもない顔は消えた。闇を背にして、ろうそくの炎が刃先を、上から下にすっと走り、刀は一本の赤い糸になる。血がひとすじ垂れたようであった。長さ一尺六寸(五十三センチ)、太刀で(たち)はなく脇差(わきざし)である。
備後三原(びんごみはら)の銘(めい)がある。
城家老(しろがろう)ほどの身分でなければ、これほどの物を所持できない。
「内蔵助(くらのすけ)さま」
と、刀にむけてつぶやいた。お国家老はこれを最後まで所持していた。形見(かたみ)に残すつもりだったのかもしれない。よほどの由緒(ゆいしょ)があるのか、なにかの思いがこもっているのか、それとも、ただに高価な品だったからか。
庄左衛門もまたいかに困窮しようとも、この刀だけは売らなかったし質草にもしない。腹の虫が鳴くのをききながら、黒ぬりの鞘(さや)をじっとかかえていた。手がとどく場所にかざり、きげんがよいときには客に見せ、
「備後の三原です」
と、刀剣の名産の土地を口にして講釈した。だれからいただいた品か、話せば相手は仰天しただろうが、それだけはいってはならない。感心して刀をながめている富裕な町人に、軽侮の視線を送るだけにした。
「ふう」
と、吐息をついて刀を黒い鞘(さや)にもどした。京革(きょうかわ)をこまかく巻いて青色のうるしをぬった柄(つか)の感触をいま一度たしかめたのち、たたみに置いた。夢中になっていたので、どれほどの刻(こく)がすぎたのかわからない。指さきがつめたくなっていた。
火鉢にかざした。
最前まで炭の割れ目から青白い炎をふきあげていたのに、表面が白くなっている。火箸(ひばし)でつつくと、中から熾(おこ)った火がのぞいた。なんだかおのれのすがたとかさなった。
「あれから、なん年たったか。十何年か、まもなく二十年にもなるのか。十年がひとむかしなら、ふたむかしだ」
三合徳利に手をのばした。
残っていない。
3/20 9:33