塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ2019
2013/3/16 12:56
▼世話係花24にやりますか。
3/16 12:56
▼わかけんさくら咲いちゃったみたいです。
え?
誰かのアタマの中ではありません。
ヤスクニ境内のさくらです。
3/16 12:32
▼世話係深川物語についてこれで7章 留守居
は終わります。
走り出した先生の話がつづきますが、
ここにきて、冒頭の数章が必要になります。
途中から紹介し出したのが
マイナスに。
ふむ、どうするか。
3/16 9:20
▼世話係45直助がつやのしりをぎゅっとつかんで引き寄せた。そのとき戸があいて、
「もし、米をもってまいりました」
と、米屋の大介(だいすけ)が入ってきた。
「あっ、大介さん。ご、ごくろうだね。どうぞいつものところへ、あけてくださんせ」
つやはあわてて直助から離れた。
「おっとっとと、へい、のみこみやした」
大介はにやりともしないで、まじめな顔で台所への通路を、たわらをかついで入って行った。まだ、十二、三だ。
「ああ、びっくりした。わしはおくで仕事をしていよう」
と、びんのほつれをかきあげた。
「こんや、こい。おれの小屋に」
「……」
つやはとぼけた顔をしてみせただけで返事をしない。
「ちっ」
直助は舌打ちして、くすりをつつむ仕事にもどった。
つやが土間の通路をおくにむかうと、小僧は米びつに米をうつしていた。
「ごくろうさま」
つやは土間からあがって、いろりのそばにしゃがんだ。熾(お)き火を灰のなかからほじくりだして指さきをあぶった。
「どうもありい」
大介がわざと女形(おやま)のような声をだして帰って行った。
いれちがいにまた客がきたのか、
「ああ、これは大黒屋の番頭さん……」
という、直助の声がとおくにきこえた。
「ああ、あ。きょうはなんだかおかしな日だ。あわただしいったらありゃしねえ。わしはすっかりつかれてしまった。さて、鬼のいぬまに」
つぶやくまもなく、つやはぼうとしてきた。お袖のやつ、いまごろ虫がくだって腹がごろごろと鳴っているか、それとも、くるぶしがずきずきといたんでいるか。富岡八幡さまの年の市にも行けなかったし、看病もしてもらえねえ。ざまを見やがれ。つれねえ直助をうらんでくやし泣きに泣きやがれ。
つやにはひとときの甘美なねむりがまっている。
3/16 9:15
▼世話係すこしは知っていましたが、わたしは学校の打ち合わせの会には
出ないことにしています。
ちょっと不快なことがありまして。
教えててただいたホームページを初めて見ました。
ますます不快になりますね。
3/16 9:10
▼恵比寿墓場ああ人間の業 文藝学校万歳塩見先生、大変ご無沙汰しております。
以前在籍させていただきました、恵比寿墓場でございます。
先生が手術をなさったことは存じ上げておりましたが、小生も同時期に身体を壊して田舎に戻り、「先生に続け」とばかり手術までいたしました(まさに塩見組の模範生であります)。
術後も闘病生活(のようなもの)が続いたのですが、田舎は空気もごはんも美味しいです☆
病んでいるなりに目標もあって、家族が支えてくれて、ありがたく、幸せです。
大切なものが故郷にあったのに、何が欲しくて都会に出たのだろうと……
費やした時間を虚しく思いました。
さて、昔の事件にいまさら気づいて恐縮ではありますが、小生の退会後、黒羽先生と鈴木先生が熱い死闘を展開なさっていたのですね。
http://homepage3.nifty.com/3gatudo/kokuhatu.htmこれは……熱い!
黒羽先生の御真筆、これは古文書なのか!?
何と書いてあるのか判読すらできない!
半狂乱の黒羽先生が出刃包丁を振り回し、
鈴木先生が負けじと応戦! 「この痴呆老人め!」と絶叫する……!
想像しただけで、小生も血湧き肉躍る思いでございます。
退会後、こんな素晴らしいバトルが繰り広げられていたとは、まさに一生の不覚。
この血みどろの闘いを見学できなかったことは、小生にとって痛恨の極みであります。
文藝学校とは技術を学ぶ場でもなければ、上達へのヒントを得る場でもなく、
人間のおどろおどろしい「業」を体感する、(いい意味での)「ばけもの小屋」であるのだなと、再認識した次第です。
この場をお借りして、両先生の壮絶なる闘いと尽きせぬ闘志に、心から敬意を表したく存じます。
そして塩見先生にも、ぜひとも一言、両先生の激闘について御講評をいただければと思います。
以上、取り急ぎ、感動の想いをお伝えさせていただきました。
先生のさらなるご健勝をお祈り申し上げます。
3/16 8:46