塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ2002
2013/2/25 16:23
▼蜘蛛昔は清澄通りから大横川の1キロが高橋でした。わたしが深川を離れている間に、1丁目だけが高橋で、2丁目から5丁目までは森下になっていました。
町名を残す運動でもあったのか、700m四方の1区画だけ高橋が残りました。
わたしの生まれ育ったのは、小名木川をはさんでの白河町ですが、当時の高橋商店街は相当な賑わいで、遠く江戸川区や葛飾方面からも、買い物客がやってきたそうです。
盆と正月に衣料品を買ってもらうのも、
母が、ぶら下がっている沢山のコードでパーマをかけるのも高橋でした。
散歩しているとビジネスホテルが目に付きます。
そうです、高橋ドヤ街の名残です。
楽しく散歩しています。
咲さんは海辺橋で、わたしは高橋です。
咲さん、散歩も楽しみにしていま〜す。
2/25 16:23
▼世話係都立と区立ですか。前はビッグボックスの脇を
ぞろぞろと、ひとりで歩いたら、
もう山頂にいたような。
お城さんか、シュポさん、
教えてください。
2/25 15:44
▼世話係戸山公園なんですか、二箇所在りますね。
馬場から遠い遠いといわれたので
地図見てたら。
どちらに箱根山が在りますか。
2/25 13:35
▼わかけん小名木川大島の子どもたちは、うなぎの寝床みたいなまっすぐの川だからこの名前だと、学校で教わっているみたいです。
リバーサイドの自転車道路は「塩の道」だし。
ちゃんと歴史を教えているみたいで。
高橋は、たかばしという町名になっているそうですね。
ウィキると、都市スラム、ドヤ街など、戦後の一時期まで山谷のような町だったとか。
江東区、ますます面白くなってきました。
江戸と現代と、両方楽しめます。
さて。
オオジマで今日も日銭を稼いで来ます。
2/25 10:35
▼世話係28「子どもじゃあるめいし、いちいち」
と、小声でつぶやいた。
小袖に羽織着、自慢の三原を腰にさしてそとへでると、道端にはまだ雪がのこっていた。二日に、永代寺門前の伊東で飲んでいたときも雪が舞ったが、あれから十日ばかりのちにもまた雪で、こんどは三、四寸はつもった。この冬はさむさがきびしく、雪がおおい。
「おはようございます」
と、となりの干物屋の小僧がいった。残雪をちり取りにすくって仙台堀にすてていた。
「おお、うちのまえもやってくれたか。どうもすまねえな」
と、庄左衛門は礼をいった。
くすり箱をぶらさげて直助がでてくると、
「ちいせえほうが気になるのだ」
と、庄左衛門は気持ちをつたえた。
「たー坊か。ありゃ、先生が診てもどうにもなるまい。もう半分死んでやがる」
「わかっておるが、息しておるうちは、なぐさめてやりてえ。くすりを一服やれば親もよろこぶ」
「へっ、へへへ。いつからほとけの心になられたべえ」
「おっ、直助。笑ってる場合ではねえ。あれを見ろ。ほれ、やなぎの木のうしろだ」
葉のない枝がすだれのようにたれたむこうに、赤い着物のお袖がいた。
海辺橋のそばだ。
そのとき、
「あれ、おはようごぜえます。このめえのだんな衆ではござりませぬか。きょうも舟で行かれてはどうでござりますか」
と、どら声がした。
石段のしたの桟橋に、先日、永代寺門前へでかけたときの船頭がいた。あのときとおなじ豆しぼりの手ぬぐいをかぶっている。
「いや、きょうは小名木川(おなぎがわ)の高橋(たかばし)までだ。水はつながっていようが、歩いてもじきだ」
「そうだな、高橋じゃ歩いても、舟に乗り降りしてる間につきますな。へへへ、こっちに勝ち目はねえ」
と、船頭が話しているうちにも、
「直助さま」
と、お袖がやさしく呼びかけていた。
庄左衛門がふりむくと、紅(べに)のこいくちびるに白い歯がすこしのぞいている。笑っているのか、それにしては、ぶきみなかたちの口だ。歯ぎしりしかけて、がまんしたようだ。
「おお、お袖か。こんなところでなにしてるべえ」
直助は気ばってこたえた。
2/25 8:19
▼世話係返歌か変か白玉の歯にしみとほる夜
酒はいつでも静かに飲むべかりけり
2/24 18:15