塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ1994 2013/2/17 12:20

▼お城大好き
あのような演劇、初めて見ました
導入部、能の台詞など私にはちょっと難しかったですが、馴染みの安部清明、博雅が出てきていつの間にか引き込まれていました。帰ってご挨拶を読んで納得理解できました。咲さん良いものを見さして頂き有難う御座いました。
先生・わかけんさん寿司三昧・三原橋と楽しい宴席ありがとうでした。蜘蛛さんの謂れが少しわかりました。来月30日が楽しみですね。
2/17 12:20

▼わかけん
昨日の観劇
面白かったですよ。エンタメ劇。
最初の本からどう変化したのか。
このセリフは咲さんじゃないな、などと考えながら観てました。
祝詞を唱えて悪霊をこらしめる場面は噴出しそうになりましたが。
あと、コミカルな役まわりって大事だなと思いました。
2/17 11:40

▼世話係
たぶん、ないです。
あのあたり、ひまなときは自転車で
ぐるぐる走り回ってたから、
神社で休んだかも。
武蔵野のキツネですか。
2/17 11:10

▼岡坊
西荻窪南
松庵稲荷神社に狐のミイラを祀っているとのことなんですが、
先生はみられたことありますか?
2/17 10:51

▼蜘蛛
えっ!庄左衛門がいるよ
昨日からの、まさかの忠臣蔵。
いやー、面白すぎます。
2/17 8:36

▼世話係
23
 「おい、もすこしちこう寄れ。そとにもれてはまずい話もでるだろうしな」
と、みなを手まねきした。
 二十畳ほどの大座敷にちらばっていた仲間が、朱色の膳をもって床の間のほうへしずかに移動した。庄左衛門は毛利小平太(もうりこへいた)とならんで入り口ちかくにいた。すこし前方に堀部安兵衛(ほりべやすべえ)の幅のひろい肩があった。
 「いよいよ、五あさってになったよ。その六日の夜にだ。みんながどこへあつまったらええか、ちゃんときめておかんとな。どこがよいかな。人数がおおいから、一か所じゃ目立つ。いくつかに分散してたほうがええじゃろうな」
内蔵助はお国なまりをまじえてつづけた。
短躯のうえにやせているが、ほおがふくらみ顔だけがおおきく見えた。声はおだやかで、決死の行動について話すふうではなかった。碁会か祭りか物見遊山の打ちあわせでもするようだ。しかし、そのおだやかさに、庄左衛門は気が引きしまる感動をおぼえていた。
 「おい、堀部安兵衛。安兵衛はどこにおるのか」
と、内蔵助がさがした。庭にむけていた顔をゆっくりと戸口のほうへうごかした。くもり空で明かりがすくなく、ひろい座敷のおくはうすぐらい。
「はっ、はい。堀部安兵衛、ここでございます」
堀部安兵衛の肩がぴくりとふるえた。
 「わしが頼んでおいたものができておるか」
と、内蔵助がたずねた。いつもは座のまとめを小野寺十内(おのでらじゅうない)や原惣左衛門(はらそうざえもん)などにまかせていたが、きょうは内蔵助みずから、進行をつとめるようだ。
 「はっ」
 安兵衛はいつもよりも大声で返事をした。
小山田庄左衛門は大石内蔵助をじっと見つめながら、堀部安兵衛をうらやましく思った。自分にもあのように声をかけてもらいたかった。大工から入手した吉良邸の図面を筆で写したのは庄左衛門であった。となりの毛利小平太が中間(ちゅうげん)に扮して吉良の屋敷に出入りし、図面とのちがいをさがしてくると、またあらたに書き直して安兵衛にわたした。
 「はい、ここに用意してございます」
というや、堀部安兵衛は中腰になって同志のあいだを床の間へすすみ、手にした紙を内蔵助にじかにさしだした。本所回向院から吉良邸正門までの道筋とか、両国橋と回向院の距離などが図入りでしるされている。その作業も庄左衛門は手伝っていた。
2/17 8:00

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