塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ1993
2013/2/16 23:30
▼世話係最後の酒席は千里浜。
いいですね、ここ。
焼いた牡蠣、おおきかった。
早く去った人たちにご苦労さんと
ここから挨拶。
こりずに、また。
三原橋地下の
最後の夜。
だれかさんは、
もう一回くると
言ってました。
2/16 23:30
▼蜘蛛夢中になって見てました荊姫に魅せられて鳥肌が立ちました。
咲さん素晴らしい舞台をありがとうございました。
宴会では、先生皆様とおいしいお酒を飲み、お話をして大変嬉しかったです。
今日は本当にありがとうございました。
2/16 22:14
▼咲ありがとうございました。今日はお越しいただき、ありがとうございました。みなさまの励ましを胸に、ころからももちろん精進いたします……。
やっと、新しい部屋の鍵をもらいました。るるる〜。でも荷造りが。木曜日は引っ越し二日前で、ばたばた、がっこは無理かもしれません。すみません……。捨てても、やっぱり本が山のように……。
2/16 21:56
▼ミラクル大魔神鎮座ミラクルミラク
クールクル!
ふむふむ。
2/16 16:27
▼世話係22指先がつめたくなったので、腕をくんで十徳のわきのしたにいれた。
一の鳥居をすぎると、茶屋や料理屋が三町ばかりのあいだつづく。角(かど)のちいさい飲み屋が伊東だが、庄左衛門はもうすこし右のおくに入り、松林のあいだに波勝楼(はしょうろう)をながめた。このあたりでもっともおおきな料理屋だった。庭がひろく、四季それぞれにおもしろく、とくに初雪でもつもると、都下の粋人で座敷がうまった。
十二月二日、大石内蔵助ら五十数人はここへあつまった。人数がおおい。目立つので都心をさけた。隅田川をわたり、江戸の東はずれの新興の地、つまり場末でもある深川がえらばれた。波勝楼の亭主には、暮れで金子が必要だから頼母子(無尽講)の取立てをするというふうに話をとおした。
小山田(おやまだ)庄左衛門も若輩のひとりとして、ほこらしい気分で一座にくわわった。すでに討ち入りの日はきまっていた。十二月六日、吉良上野介(きらこうずけのすけ)は自宅で茶会をひらくので、かならず本所の屋敷にいるはずであった。
六日まで、あと四日だ。藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城殿中で刃傷沙汰(にんじょうざた)をおこして切腹を命ぜられてから一年と九ヶ月がたっていた。
やっと忍従の日々がおわる。
あつまった赤穂の浪士はだれもが町人のなりで、ぶばった態度の者はいなかった。しかし、極限にまでたかまった緊張が顔にでていた。目つきがけわしく、小鼻がぴくぴくとうごいた。口がいつのまにか、への字になる。料理を運んだ女たちがこわがった。
「内輪の話がでる。呼ぶまでさがっておれ」
と、小野寺十内老人が女中頭をまねいておだやかにいい、いくらかの金子(きんす)をわたした。
女たちがいなくなると、座の雰囲気がいっそう張りつめた。
「ではそろそろ、頼母子(たのもし)を始めるとするか。こまかい手はずも、あれこれと話さねばなるまいしのお」
おおきな床の間を背にして大石内蔵助がいった。小袖に羽織をまとい、黒い塗りの脇差を一本たずさえただけで、火鉢であたためた手をすりあわせている。かつて播州赤穂の城で家老をつとめていたときの威厳はなかったが、ちょっとした所作にも決意のつよさがうかがえた。四十四になるが、表情に精がみなぎっている。
「おい、もすこしちこう寄れ。そとにもれてはまずい話もでるだろうしな」
と、みなを手まねきした。
2/16 9:09
▼世話係がっこ2・21は、高木和久『綺麗な亡骸』です。
久喜市鷲宮神社から始まる
ミステリアスな作。
2/16 0:58