塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ1990
2013/2/14 13:36
▼わかけんマルクス主義的発展段階の途中のアジア、
という意味ではありません。
2/14 13:36
▼わかけん江東区大島を中心に日銭稼ぎをしている今日この頃ですが、江東区ってなかなかオモシロイ街ですね。
直助の小説の頃と、通じるものがあるのかないのか。考えながら街を歩いたりしています。
クルマ、自転車、人、子ども、年よりが路上をあふれるように歩いていて、反対に、ネクタイ締めたリーマン族がものすごく少ない。現代の移民組も多いみたいですね。
小さな居酒屋赤提灯が乱立し、商店などの小商いに活気がある。資本がそれほど流入していないのか。少しずつ大型店舗が入ってきているようですが。
変なことに気付いたのですが、江東区の路上を眺めていると、びゅんびゅんクルマが走るバンコクのような道を、平気で年寄りが横切っていくんです。ほんの数十メートル先に横断歩道があっても無視。まあ危険っちゃ危険ですが。でも、近代の管理教育漬けの結果、こういう人、ほとんど見かけなくなりました。江東区はまだ、アジア的なのです。
2/14 13:33
▼世話係つづき20 前途は遥か。「なに、渡しの荷の揚げおろしだ」
「なるほど、そのつぎが馬屋の下ばたらきか。板橋に荷を運んできたおりに、博徒とけんかしたのだったな」
深川へ引っ越す準備をしていたとき、直助が戸板にのせられて、縁切り榎(けやき)の家に運ばれてきた。しばらく安静にしていろといって、置いて深川へ越してきたところ、すぐに追いかけてやってきた。「ここへおいてくだされ」と懇願するので、それ以来、下男として使っている。頭はよくはたらくが、性根がよくないと見ている。だれでも欠点はあるから、こまかいことで難癖はつけない。
「お客さん、汐見橋をすぎましたぜ。八幡さまのまんまえにつけてよろしいのか」
船頭がたずねた。
「ああ、そうしてくれ」
おおきな船だまりに入った。あちこちから乗りあい船やちょき舟があつまってきている。八幡宮の前面に石段の発着場がもうけてある。
「足もと、すべりやすい。気をつけてくだされ」
「ありがとう。ほれ、酒手だ」
と、すこしおおくわたした。
引き潮らしく、いつもは水中にある石段がむきだしていた。藻が水面に浮きあがり、小指のさきほどの貝が波に洗われている。切付雪駄の先に力をいれてすべらないように気を張った。石段をあがると広場は人で埋まっていた。正面に富岡八幡宮の大鳥居が見えているが、てっぺんの朱色の笠木だけで、下方はよしずばりの茶屋がじゃましていた。
駕籠かきが列をなして、てんでに、
「もどり駕籠だ。亀戸村(かめいどむら)までお安くしときます」
などと、客寄せをしていた。そのとなりでは、てまりの曲投げが人をあつめている。
師走の二日だというのに、それに雪がちらつきそうな空もようなのに、ここはにぎやかであった。富岡八幡宮と別当寺の永代寺を取りまく門前町はひろく、門前、門前仲町、門前東仲町、門前山本町とわかれている。いずこも繁盛して、人ごみをかきわけて歩かなければならない。
「めんどうだな、直助。おめえひとりで、そいつを大黒屋にとどけてきてくれねえか」
大黒屋は永代寺門前仲町にある。釣り道具屋をいとなみ、同時に釣り舟の手配をする。佃島(つくだじま)の沖に屋形船で釣りにでかけるのが流行ってこのかた、羽ぶりがいい。
「えっ、なんと」
2/14 9:48
▼蜘蛛先走ってしまいました。丁寧な描写がうれしいです。
2/13 9:39
▼世話係つづき19 蜘蛛姫、まだフネだ。お袖とはもう切れたのか、まだ切れてなくても切れたいのか。ほお骨のとびでた顔をかたくしているのは、ただただ、さむさのせいのようだ。
海辺橋をくぐれば、右手の土手のうえは正覚寺のながい土塀だ。つづいて茅場町から移転してきた材木商の冬木家の地所になるが、これがまたおおきくてひろい。寺町の三倍ほどもあるが、まだ整地されないまま枯れたすすきにおおわれている。
亀久橋をくぐった。
ここで木場にむかう材木船とわかれて、庄左衛門のちょき舟は右の水路に入った。天気さえよければ正面遠くに富士山がおがめたはずだ。
「直助、江戸でこんなにさむいのだ。上州沼田のおめえの在(ざい)では、さぞかしふけえ雪だろうな」
気をまぎらすように話しかけた。
「うんだべえ。そりゃ、すげえ雪だ。冬には食うものがなくなる。人間だけではねえ。腹をすかせた、うさぎやいのしし、むじななどが山からおりてくる。そいつを仕留めに、かんじきをはいて、みんなしてでかけるべえ」
「かんじきか」
「うんだ、かんじきだ。わからねえか」
「ああ、知らねえな」
「わら沓のしたに盆のような輪をはくだべえ。そうしねえと、足が雪にずぶずぶと入ってしまって歩けねえ。そうか、先生は上方(かみがた)の出だとか」
「上方でも山にゃ、うんと雪がふる」
といいかけて、庄左衛門はだまった。このところ、直助がともすると上方や瀬戸内(せとうち)の話をするのが気にかかっていた。なにかを小耳にはさんで、さぐりをいれているのだろうか。
「そんなら上方でも、山ではかんじきをはくべえ」
「これまでいわねえでいたが、直助。肉をさばくおめえの腕はそうとうのものだ。いつも感心してながめておった」
話題をかえたくて、お重のつつみに目を送った。
「いや、おやじや叔父きがやってたのを見よう見まねだ、てえしたことではねえ」
「おめえも、かんじきつけて猟をやったことがあるのか」
「いや、おれは鉄砲を撃てねえ。人入れ屋がきたのは十二のとき、そろそろ撃たせてもらえるかと思ってた矢先だったべえ」
「川越の馬屋のことか、その人入れ屋は」
「ほかの人入れ屋だべえ。寄居のちかくの荒川村につれて行かれたべえ」
風呂敷の包みをなでながら直助はいった。
「その村にゃ、おめえができるような仕事があったのか」
「なに、渡しの荷の揚げおろしだ」
2/13 9:21
▼SYUPO岡坊さま3月4日楽しみです。
『恐怖通信』、立ち読みでも結構ですので、冷やかしてみて下さい。
2/13 2:34