塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ1909 2012/12/12 10:16

▼岡坊
昨晩は、
話が尽きず、おもしかったなあ。小説、戯曲、音楽、はては虫の話などなど。
最後は「菊正宗」の店に入ったのに、日本酒を飲まず、酎ハイで乾杯で満足です。

『貧民の帝都』に書いてあった賀川豊彦のスラムも考えていたのですが(まだ、春日野道に名残りがあるそうです)、
三宮からちょっと離れていたのと、さぶかったので、今回はやめました。
次回は神戸のドヤ街、新開地と春日野道というディープ神戸でもいいですね。
12/12 10:16

▼咲
消えません
消えるなら、とっくに消えているはずです。
12/12 6:33

▼長野のせんせ
あの問題は
「もうないのでしょう」とか「どうなっているのですか」という声のが同和教育・啓発の研修会では聞かれます。あくまでも人のことで自分には関係ないというのが多くの人の立ち位置のようです。
運動体の反省やマスコミの取り組みも大事ですが、塩見さんの論点「地名を公表しても差別されない」という地点までたどり着かなければと思います。
12/12 5:04

▼世話係
長野の別所温泉は、
捕虜のエミシの「別所」が有名になり、
部落が飲み込まれましたか。

川べりに、いまも「部落」があります。
こういうただの集住地を、どういうふうに呼ぶとだれの神経も
刺激しないですむのか。

部落問題の完全解決がマスコミの
引っ込み思案で
遅れてしまったのは残念。
もちろん、解同のマスコミ批判の
仕方も反省すべきです。
12/12 2:59

▼世話係
などと
書いてみたが、
ストリートビューで
旧地を眺めると、
ただただ殺風景。
デストロイヤーの戦後だったか。
騙されつづけた一生か。
12/12 2:17

▼世話係
姫、よかったですね。
たまには、
パッと楽にならないと。
パーンと、はじけないと。

わたしは三ノ宮も岡山にも、もう行かないでしょう。

でも、貧民の帝都161ページで書いた、あの土地の空襲で焼失する前の描写をしてみたい。

もう「趣味の盆栽いじり」の境地だが、特殊を通じて普遍へ抜けられますか。

地方の城下町の焼失前のたたずまい。
くらくて、さびれて、さびしいと時代小説などにあるが、
そんなことはない。なんともいえない平穏。静寂。ゆっくりと流れる時間。

もうリルケ。マルテの手記。

わたしの6歳までの記憶。死ねば消えます。
12/12 0:02

19101908

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