塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ1557
2012/3/20 9:46
▼わかけん戦前のことは未経験ですが、ほんとうに今のような分岐点があったのでしょうか。
よく「この道はいつか来た道」と言われましたが、そうだなと思いながら、本当にそうかな、と疑ってもいました。まさか、またぞろファッショに戻ることはあるまい、軍備増強して再び戦火にまみれるようなことにはなるまい、と。でも、3.11以降、現実味を帯びてきました。
恐ろしいのは、コンプレックスの裏返しの「憎悪」です。H元と、それを支持する連中のエネルギー源です。弱者でかまわないのに。なぜ強者になろうとするのか。生命は、誕生してこの方、ずっと弱者としてこそ、環境の中で生き抜いてこれたのではないでしょうか。
3/20 9:46
▼岡坊ありがとうございます。面白そうな場所ですね。
今年は筍ごはんを作るのは無理かもしれませんが、参加させていただきます。
3/20 8:53
▼世話係若せんせおっしゃるように、
わかれ道ですね。
どっちかを選ばねばならないところへ
います。
いまの日本社会に漂う無力感は
「原発廃絶」と、政府がいわないところから
きています。
あれだけ破損しておきながら、
官僚と経団連にまだ気を使う。
311まえ、と同じだからです。
もう終息したっていう、政策の立て方も、むかしのまま。
さまよえるフクシマ人、哀し。
3/20 8:38
▼世話係川崎大師は初詣に行くとこです。
多摩川の河口を守っています。
対岸がハネダ、穴守稲荷で、
たかのたかの
小説に出てくる
歓楽街でした。
川崎の女から梯子して、渡しで
行くのです。
多摩川に橋をかけなかったのは、西国大名を
警戒してというふうに
本には書いてありますが、
本当は
近隣の農民が反対したからです。
荻窪駅が高架にならなかった理由と
似ています。
洪水のとき橋にいろいろなものが
ひっかかり、せき止め、
その上流で
氾濫するからです。
わたしたちはいつも、
ぶらつきますから、
すこしは歩きます。
3/20 8:28
▼岡坊花見川崎大師って、どんなところですか?
またその近辺を散歩されますか?
3/20 8:07
▼わかけんそうですね。ちょと昔、環境倫理学というのがありましたが、イマイチでした。エコになって、急に盛り上がった。内容は変わらないのですが。
ハシモトがそんなことを言ったのですか。呆れますね。今は人気を得たいので「反原発」ですが、いずれ原発再稼動に動くとみています。核武装したいようですし。原理うんぬんは、そのことをばらしちゃったようなもの。
いずれにしろ、原発廃絶、さよならハシモトです。この逆の潮流が大きくなっていくことに、危機感を覚えます。
3/20 7:54