塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ1160 2011/6/6 14:32

▼世話係
江戸の人が
目白不動へ行くときは、江戸川(神田上水)沿いにくるにちがいない。
では、なぜ、おとめ山が「目白駅」なのか。
あのあたりの土地を「目白台」と、目白不動とは関係なく、そう呼んでいたのか。
地名事典でもあれば、解は出てるのかも。
ひまだなあ、きょうは。
6/6 14:32

▼世話係
渋谷円山町は
大山街道の宿場。それで、われらが目白駅ですが、
目白不動がいまの慈眼時のとこへ移されたのは戦後ですよ。日露でなくて、太平洋戦争。それ以前は、番長のいう椿山荘のふもと、神田川のほとり。
いまの目白駅からだと、一里はないけど、かなりの距離。
6/6 14:28

▼世話係
目黒駅は
不動尊まで1キロすこし。あの火事で有名な寺のまえを目黒川へくだり、ああ、ここにも結婚式場がありますね、橋をわたる。五百羅漢があったり、安酒屋に媚を売る女たち。いなかから出てきた次男三男のさびしさをまぎらわしてくれたか。女たちも飢饉のいなかから出てきたのでした。
6/6 14:19

▼世話係
番長に押されてつづけますが、
品川・目黒、渋谷・新宿・目白・板橋のピンク路線は、それぞれの盛り場からはすこし遠い。これは反対運動があったからでしょうが、人力車夫にとってはありがたいことでしたね。
6/6 14:15

▼さぼり番長
目白駅にそこそこ近くの
椿山荘は1878年に山縣が造っていますので
世話係さんの仰る
>偉い人の屋敷があったからですか

も、目白駅開業の理由のひとつかもしれませんね。
6/6 14:08

▼世話係
はいはいはい。
3月16日:日本鉄道品川線は開通半月後に 目黒駅・目白駅を開業しています。もちろん計画段階からこの二駅は入っています。
いいですか。
目白と目黒。
有名な江戸の五色不動。
語呂もるくない。
目黒と目白。
社長は粋人であったようですね。
6/6 13:15

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