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過去ログ114 2005/10/14 0:41

▼世話係
ずいぶんよく知っていますね
アヤタチタンバ さんへ
定住しない人たちはわんさといました。名ある地位の人は勝手に移動できませんが、名もない人はあちこちぶらぶらしています。もちろん「移動箕作り」も「木地師」も「マタギ」も動く。関所はさけて裏道を通るか、だんだん商業が発達すると、荷もない貧乏人は自由に抜けたみたいだ。
調べてみてください。わたしの「乞胸」もそんな放浪の辻芸人の話から始まります。
10/14 0:41

▼アヤタチタンバ
お仕事がんばってください
野非人と箕作りは関係ないのですか。貴重なご意見ありがとうございます。
江戸時代において、移動箕作りのような定住しない生活は可能だったのですか?沖浦氏は幕藩体制において、サンカ(誤解を生むだけですので以後サンカという単語を使用しません)のような生活は無理であったといいますが、木地師などは明治の壬申戸籍際に、無籍の木地師と連絡を取るように指示がされていますから、やはり特異な生活形態の人間が江戸時代でもある程度居たと思うのです
10/14 0:25

▼世話係
みづくり
アヤタチタンバ さんへ
私は筒井功『漂泊の民サンかを追って』をまだ読んでいなので、お答えできません。いま、乞胸(ごうむね)の仕事に集中しています。それが一段落すれば、読んでみるつもりです。
箕作りはふるくから存在しています。「ウメアイ」(むかしはなんといってたのか知りません)で竹を割り、竹をさいています。竹の聖性の伝播と歴史なども考慮してみるといいかも。(『竹取物語』のことなども)。
アヤタチタンバ さんの研究に期待します。
ただ、野非人と箕作りは関係ないことでした。
10/13 23:20

▼アヤタチタンバ
レス、ありがとうございます
「コトリとサンカ」、大変興味深く読まさせていただきました。
もう一つ質問があります。
サンカは存在しなかったとありますが、確かに三角寛の言う、大規模な組織性を持ち、古代出雲や仁徳天皇、反正天皇などに由来する起源伝承を持ったような集団は、居なかったと思いますが、サンカと呼ばれた、或いはみなされた集団の中に「ウメアイ」と呼ばれる両刃の小刀を持ち、かつタブーとしている事が「筒井功氏」の「漂泊の民・サンカを追って」にて報告されています。これを幕末から明治にかけて生まれた無籍者の集団をサンカであると定義しますと、小刀のターブについての説明が着きづらくなると思うのです。
ですから、サンカとみなされた人々の中に私にははっきりとは分かりませんが、中世の段階ごろにうまれた漂泊集団の一集団が近世にサンカと呼ばれた人々の中に極少数混ざったのではないかと想像しているのですが、これは歴史というものをまじめに考えた場合、想像の範囲外のことなのでしょうか。
10/13 19:48

▼久保田
こんにちは。次回の合評会に作品を提出する予定の久保田です。遅くなって申し訳ありませんが、今週中に皆さんに送信、または送付します。infinitoさん、もし文藝学校の方でしたら、文字化けしてしまっていますので、お手数ですが再送してください。また、当日出席出来ない方でも、読んでいただける方がいらっしゃいましたら、メールをいただければ、作品を添付して返信いたします。どうぞみなさん、よろしくご教授くださいますよう、お願いします。
10/12 13:00

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