塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ1010 2011/1/16 17:08

▼zaimokuza77
逗子・葉山の砂鉄
バイクでひとっ走りして、逗子海岸に行ってきました。
逗子海岸も広いので、一番西の端、鎌倉寄りにあたる場所と、浜の中ほど、そして一番鎌倉から遠く、東側の田越川河口付近の3か所で砂鉄を採取してみました。

面白いことに、一番西の端、鎌倉寄りではかなりの砂鉄が採取でき、中ほどではかなり少なくなり、一番鎌倉から遠い田越川河口のあたりでは、ほとんど採取できません。

ただ、この結果だけでは何とも言えないと思い、葉山まで足を延ばしてみました。

葉山では、森戸海岸と真名瀬漁港の2か所で磁石を使ってみました。

すると、両方ともそれなりに砂鉄がくっついてきました。

写真はまた専用のホームページに掲載しましたので、ご覧になってみてください。

この結果は、どう考えればいいのでしょう。海岸の砂には、どこでもある程度砂鉄が含まれているけれども、七里ヶ浜には特に多いと考えればいいのかもしれませんが・・・。
1/16 17:08
HP

▼世話係
偶然か。
偶然です。
1/16 14:30

▼わかけん
金山は
由井さんの表札がいっぱいありました。いまだに住んでいるのですね。白山神社を祭っていた人たちは、古い記憶を残している由井さんたちなのでしょうか。金本という家もありました。
征夷大将軍頼朝は、鎌倉を拠点にして、北に攻め入っていったのですね。そのとき重要だったのが鎌倉の鉄で、武器や馬具を、鎌倉弾左衛門由井等の一党に作らせていた。そして、捕虜にしたエミシを、近くに住まわせ、鉄具生産に使役したのでしょうか。
徳川もそれを踏襲して、よりシステマチックに支配の体系に組み入れた。それが浅草弾左衛門ということですか。
そういえば、徳川に反抗した由井正雪という人がいましたね。由井姓は、なにか意味があるのか、偶然か。
1/16 11:22

▼わかけん
金山の白山神社
行ってきました。
極楽寺川の河口で砂をいじくった後、国道を山側に渡り、細い道をきょろきょろしながら歩いていると、買い物帰りの年配のおばちゃんが「寺はあっちだよ」と声をかけてくれました。「白山神社に行きたいんだけど」と言うと、「半年前くらいにもそんな人いたねえ、朽ち果てた神社だよ」と不思議そうにしながら案内してくれました。もしかして、ベルさんのことかな??
歩きながら、10年ほど前までは祭礼も行われて、古くからの氏子が守っていたこと、みんな年寄りになって守りきれなくなり、今は当時の氏子も2人ほど生き残っているだけ(90歳代だとか)だとか、聞きました。今から思えば、その時に「ほれ、当時の氏子は、みんなそこに眠っているよ」と、墓地らしき場所を教えてくれたのですが、僕は内心「このおばちゃん、由井さんかしらん??」と、ドキドキで、墓地らしきことをスルーしてしまいました。後から電車の中で気づいて悔しい思いをしました。あそこに鎌倉弾左衛門のお墓があったんだ!!
とにかく、いまだにきれいな朱塗りの鳥居がある白山神社を見て、正月用の飾りがあったので、まだ完全に忘れられたわけではないことを確認しました。
1/16 11:12

▼世話係
『鎌倉の川と鉄』
zaimokuza77さん、そのうち、逗子にも磁石を持って、散歩してみてくださいね。
1/16 9:46

▼長野のせんせ
シュクの宿題
宿の地名のいわれ、まだつかんでいません。世話係さんからヒントをいただきましたので動いて報告します。
1/16 6:29

10111009

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