塩見 鮮一郎公式 掲示板

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6/5 19:08
早乙女勝元『東京大空襲――昭和20年3月10日の記録』(岩波新書)
姉とは、私の母です。

真紅に染まった空に、黒煙は濃霧のように流れ、おびただしい火の粉がいっぱい。それはまるで火の粉の猛吹雪だ。B29は巨大な火柱の上を、ゆうゆうと旋回しながら、つぎつぎと焼夷弾をぶちまけていく。ピカッと空にきらめく青い閃光。とたんに無数の光跡が尾をひいて黒い屋根の上に吸いこまれ、また新しい火の手がどっと上がる。

 「まあ、きれい!」

と、姉が場ちがいな感嘆の声を上げたのを、私はふしぎに記憶している。が、そのとたんに、姉の声を封圧するかのように、金属的な爆音。畳3畳分もあるかと思えるようなB29の巨体が、屋根すれすれの超低空で目の中へつっこんできたのだ。その胴体がぱっくりひらいて、まっくろなものがざざーッと降りそそぐ。はっと頭をふせ、顔をあげれば、もうあちこちに火の手があがった。 Up 5/11 3:06
世話人
むかし
岩波新書ですか、どの本かに記述がありましたか。
これも、読んだような、ただのわが幻夢か。
早乙女勝元さんのことです。
向島
東京大空襲の日、早乙女家は半焼けで天井がなくなり、枕元に雪がつもったと聞きました。
向島です。
全焼の家も多く、半分残った家に周りの人が詰めかけたそうです。そこで、叔母などは、母乳の呑めない乳飲み子に乳を与えたとか。
世話人
冷解凍
駄菓子屋も文房具屋も焼けました。
焼け跡から釘がいっぱい出てきました。大きいやつを、
市電のレールに並べて、ナイフを作りました。

80年後、今日の今、平成即位の日に冷凍した肉まんを
解凍しました。食えるか、お嬢。
大丈夫でした。うまいとは言えませんが。
でも、冷凍庫とチンに敬意。
記憶②
感覚で2番目は味覚です。

ツツジを摘んで、ラッパみたいにして蜜を吸うと甘かったです。
学校の帰り道によく吸っていました。

駄菓子屋さん界隈では、ミルクせんべいに梅ジャムを塗るレシピが好きでした。赤ふ菓子も、手をべたべたにしてよく食べました。
世話人
水まくら
また、忘れていたことを思い出させましたね。
あの匂い、あのゴムの感覚。
中の水がちゃぽちゃぽ揺れて。
ついでに氷嚢も出てきました。
いまにも額から落ちそう。

なんですか、水まくら、当時とそっくり。
いまでも盛んに売れてるようです。