塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3431 2018/11/26 0:52

▼世話係
読書
『おらおらでひとりいぐも』了
お願いして送ってもらった本をくそみそにいうのも、
勇気がいりますね。
岩手言葉と古希すぎた女性の切れ切れの意識の流れが
新鮮に見えたか。
でも、これは「小説」になっていません。
ものを書くのがすきなまま、文章教室へ行った。
できたみたいだが、ここには、テーマがない。
死んだ夫への郷愁、独居生活の気安さと寂しさがあるだけ。
主人公に対立する存在もない。
絶賛する選考委員、ああいまの、ニッポンふんがくか。
11/26 0:52

▼わかけん
北へ
俺は明日もまた、北へ流れる〜
とアキラは歌いましたが、その元祖がナリヒラだったわけですね。
しかし、「唇に触れもせず」などと、近代の純潔主義に染まった男とは違いました。
11/25 7:21

▼世話係
伊勢とボルヘスB
ナリヒラがいて、
ボルヘスのうすっぺらさが暴露される。

業平の肉食感。
ボルヘスの草食感。
11/25 1:36

▼世話係
伊勢とボルヘスA
パリ詩人(ブランショなど)へ直結するボルヘスの掌編を
わたしはうまく味わえない。
ブエノスアイレスの物書きが日々知る文化を思い描けない。
自他の距離を感じるばかりだ。
そのうえでの批評ですが、
ボルヘスの観念的な遊戯に比べて、
業平の捨て身の心情の重さ。
鬼が来て、恋する女をぱくりと食ってしまってから、
男は生涯、高子のまわりをまわるのだ。
まわりつづける。まわりながら歌いつづける。
この男の肉感的なしつこさが、ボルヘスにはわからないだろう
11/25 0:01

▼世話係
伊勢とボルヘス@
小屋で、たまたまボルヘス『伝奇集』と『伊勢物語』がかさなった。
両者は、よくひびきあった。
ボルヘスは同語反復的なリアリズムをきらい、要約か批評でよしとする。

男ありきの伊勢は同語がおおいが、掌編の羅列である。
ボルヘスに読ませたかった。
日本にきたのは、死の数年前、古典を、まして伊勢を知らなかっただろう。
若い時のかれの知識は東洋では中国どまり。
ファシズムの日本を嫌悪していたかも。
11/24 23:44

▼世話係
いいね
色伊勢
ふふふ
このよさがわかって、
筆写して後世に送ってくれたインテリに万歳。
11/24 3:09

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