塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3057 2017/2/19 0:17

▼世話係
読書A
『太平記』まとめ。
どうしてもっと早く読まなかったりか。
はっきりしている。
戦前の皇国史観がフルに利用したからだ。
ここでも、わたしは戦争被害児だった。

読了したいま、ふかい感慨にしたっている。
こんなにすぐれた散文があったのか。
しかも大長編ではないですか。
日本理作家は短編しか書けないと
先輩評論家は言い散らしましたが、
ここに反証がある。

かくも人間の愚かさをうまく書いた本がほかにありますか。
死者数は誇大に書いてあるとしても、
1000万以上が、なんの意味もなく死にます。
ヒューマニズムと真逆の世界です。
2/19 0:17

▼咲
君子
きみこ、内定をありがとうございます。はかっていただけたら嬉しいです。
くんし、とは。見た瞬間いろいろなことが浮かびました。ありがとうございます。
2/18 0:49

▼世話係
読書
『太平記』第40巻 了。
この巻は、なぜかみじかい。
足利の兄弟が、あいついで死ぬ。

鎌倉公方の基氏(もとうじ)が、4月に28歳で死去。
12月に兄の大将軍・義詮(よしあきら)が38で病死する。

10歳の義満(よしみつ)が三代目を継ぎ、
やがて金閣寺を建てるだろう。
補佐役として、38巻に出てきた細川頼之(よりゆき)が西国から呼びもどされた。

同族も外様も、「かれの命(めい)を背かずして、
中夏無為(ちゆうかぶい)の代(よ)になりて、目出度(めでた)かりし事どもなり」

40巻の最後の一行である。

(読んでくださった方には、お疲れさせて御免と低頭します)
2/18 0:46

▼世話係
南北朝
1945年まで、評価が定まらない時代でした。
いまは、両朝並記で収まってるのですかね。
よく知りません。
(すこし動きましたが、あしからず)
2/17 22:02

▼長野のせんせ
小説『武王の門』
北方健三作1989刊を読みました。鎮西将軍懐良親王の生涯を描いています。
このところの世話係さんの『太平記』読後の掲示に目がひらかれ、前に読んだ2014刊吉川弘文館歴史文化ライブラリー378『南朝の真実 忠臣という幻想』亀田俊和著を読み直すところです。
2/17 21:55

▼世話係
読書2
39巻のラストに、
光厳(こうごん)天皇についての記述がある。
足利尊氏に担がれて、北朝初代の天皇になる。
そのため、南朝を正統とする明治では、
歴代天皇のリストから外された。
歴史とは、教科書とは、そんなものだ。

光厳天皇は南朝に幽閉されたのち、
京にもどると、出家して、伏見に住んだ。
のち供一人をつれて旅に出て、高野山にのぼり、そのあと賀名生(あのう)の廃屋に落涙したりした。

晩年は右京区の山間、常照皇寺(じょうしょうこうじ)に隠棲、
質素な日々を送り、病没する。
2/17 21:53

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