お仕置体験談告白板


過去ログ6 2007/5/1 11:56

▼いい年のオバサン
女性
やいとのトラウマ
私のやいとに対しての幼年時体験は、いい年のオバサンになった今も大きな「トラウマ」として残っています。母は、私の頻繁なおねしょに悩み、とあるやいと屋さんに幼い私を連れて行きました。当時のやいとは今と違って、大きなモグサで直接肌を焼くものです。そのモグサに火がつくと、じわりじわりと肌を焼き始め、やがて地獄の熱さと共に痛さが加わってきます。それは幼い私をいたぶるに十分すぎるものでした。おまけに、やいとの「ご褒美」がこすっても絶対にとれない「やいとの痕」。大いに傷つき、自尊心丸つぶれの惨めな私。そんなことも相まって、子供の頃、何かしら不都合なことが起こると、親を含めた周りの大人たちは「やいとをすえるよ!」と脅し、やいとは子どもに恐怖を与えるに十分すぎる代物でした。うちの母は脅しだけでなくやいと屋さんに行ってからは斑が切れたように、私が10才になるころまで、背中やお尻に何度もお仕置きやいとをすえました。やいと屋さんと違って、素人の母がすえたやいとはツボに関係なく、しかも形や大きさが区々の「ご褒美?」として、私の身体にやいとの痕が残りました。
私の年代であればやいとの痕がある人は珍しくはありませんが、それでも背中の痕は人生の色々な場面において、他人に晒す事が多く、いい年になったオバサンはその度に恥ずかしい思いをしてきました。
5/1 11:56

▼一雄
男性
灸痕
うちのババァー(母)は悪さをしたり、言うことを聞かないとすぐにお灸を据えた。それも背骨の左右に二つも。お灸の痛さや恐怖で泣き喚いても、モグサが燃え尽きるまでババァーは馬乗りになってしっかりと押さえつけていた。俺も弟も12、3才頃まで何度も背中に繰り返しお仕置きをされたため、背中には大きくなった痕が二つも残ってしまった。学校では身体検査や夏のプールでからかわれ恥ずかしい思いを何度もしたので、嫌で堪らなかった。大人になってもトラウマから海水浴には一回も行ったことがない。
妹は同じような悪さをしても、お尻を叩かれるだけで一度たりともお灸のお仕置きはなかった。ババァーいわく、私はお仕置きで背中に6つも大きなお灸を据えられ、結婚して俺の親父に初めて背中を見られた時に恥しかったと、だから「女の子はお嫁に行くので可哀想」という。しかし、男だから灸痕があってもいいとはおかしな話である。事実、俺が結婚した時、嫁さんに背中のお灸の痕について聞かれ、「お仕置き」と答えた時の恥ずかしかったことは今でもはっきりと覚えている。うちのババァーが子育てにおいて男女差別をした理由が、俺には未だ理解できないでいる。
4/22 10:54

▼T.K
男性 60歳 茨城
お灸のお仕置き
少年時代やんちゃ坊主だった私は派手な悪戯をしては、お袋からパンツを下ろされ、何度も直接お尻を叩かれた。4年生の時、遊ぶお金ほしさに家から千円を持ち出し、友達と十分に遊んだことが仇となり、後日友達の親からお金を持ち出したことがばれてしまった。お袋から激しく叱られ、お尻を何度も叩かれ、真っ赤になってヒリヒリするお尻の上にお灸を据えられた。熱さを堪えながら何度も「ゴメンナサイ」と泣き叫びながら許してもらった。暫らくはお灸に懲りてお金の持ち出しを止めていたが、お金の魅力に勝てずその後も何度かばれない程度に財布からお金を持ち出していた。5年生になって一度に5千円を持ち出した時は流石にばれてしまい、親父とお袋二人に馬乗りになって押さえつけられ、背中にお尻の時よりはるかに大きなお灸を据えられてしまった。お灸の熱さにも懲りたが、学校で背中の痕をみんなにからかわれ、馬鹿にされて恥ずかしかったことに懲りて二度とお金の持ち出しはしなくなった。
4/11 15:13

▼寝小便小僧
男性 55歳 島根
おねしょとやいと
私は小学生に上がる前でも週1〜2回おねしょが続いていて、何時も母をてこずらせていた。母が小学生になってもおねしょが治らなかったら「やいとを据えるからね!」と入学する半年ぐらい前から、私がおねしょをする度に脅すようになった。私が幼稚園生の頃、お風呂で父のお尻に幾つも丸い傷跡があるのを見つけ、父に聞いたことがあった。それは父が5歳の頃からおねしょをする度に婆ちゃん(父の母)からおねしょを治すためにとお尻にやいとを据えられた。そのやいとはもの凄く熱く、そして痛いもので、とても我慢ができず大声で痛い、痛いと泣き叫んでもおねしょが治るまで、何度もお尻にやいとを据えられた。また婆ちゃんは一度もお仕置きとは言わなかったが、俺にはやいとが物凄く厳しいお仕置きでしかなかったと。
それで、やいとは熱い、痛い、恐ろしいものだと知っていたので、私は小学生になるまでにおねしょを卒業しないと大変なことになると思い、母の言うことを聞いて、寝る前のトイレや水分の制限等色々と試して毎日頑張ったが、どれも効果がなく小学生になってもおねしょが治らなかった。母からは約束どおり、おねしょをする度に「やいとを据える」と言われ、また婆ちゃんからも「寝しょんべんにはやいとが一番」と母に何度も勧めていた。しかし、母はやいとは可哀想だと婆ちゃんに言い断っていた。どうも母の「やいとを据える」という言葉は単なる脅しだけのようであった。
しかし、2年生になっても一向に治らない私のおねしょに、母は困り果て最後の手段として、ある時とうとう婆ちゃんにやいとをお願いしてしまった。お尻の両ホッペに据えられたやいとは言葉に表せないほど熱く、痛く大泣きした。それから3度ほど同じようにやいとを据えられ、私のおねしょは卒業できた。そしてお尻には大豆ほどの痕が幾つか残った。父はお風呂で私の小さなやいとの痕を見て、俺の時は何倍もある大きなやいとを据えたのに、孫にはこんな小さなやいとしか据えないなって、婆ちゃんは孫に甘いなと嘆いていた。
4/6 20:42

▼楽
女性

小学4年生の時 おじいちゃん家に遊びに行った時のこと。

当時まだオネショしていた私はその日もやってしまいました。
が、従姉妹たちもいたし、まだオネショしている事が恥ずかしくてオネショしたのに嘘ついてしまいました。
濡れた布団をそのまま押し入れにしまって従姉妹達とお出かけしました。

帰ってきたら私だけお父さんに呼ばれて居間へ。
お父さんが『オネショ本当にやってないの?正直に言いなさい。』って聞いてきたけどばれるのが怖くて『やってないよ』と嘘をつきました。
お父さんから『でも濡れたお布団があるよ?誰がやったのかな?』と言われついつい『アキちゃんぢゃない?』と当時1年生だった従姉妹の名前を言ったとたん……『洗濯機に楽の濡れたパンツがあったってママが言ってたよ!!どうしてアキちゃんのせいにするの!!』と叱られて、お父さんに抱えられて………
バタバタ暴れて抵抗したけどスカートもパンツも降ろされてお尻叩かれました。

叩かれながら『オネショは仕方ないけど嘘はダメ!!』『ごめんなさいも言えない悪い子は誰?』とお説教……大暴れ&大泣きしながら『もう嘘つかないから!!!』『ごめんなさいぃ!!』と謝りました。
当然従姉妹も聞いていたのでいまだにおじいちゃん家に行くとその話題がでます…お仕置きもオネショも両方恥ずかしい思い出です(笑)
4/4 0:11

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