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過去ログ92 2006/2/8 10:27

☆菜の花
ん〜 語り継ぐって言っても「おじいちゃんが若い頃なぁ、藤田って選手がおってな〜」って言っても孫は聞かないよね。
記憶じゃ後世に伝わらないから、記録ってものがある。 文書や映像も記録になるだろ? 
で、正しく伝えるのが難しい。例えばドーハのドキュメントをつくる時、イラクのショートコーナーやカズの勝ち越しゴールにスポットがあたるんだろうけど、イラン戦に中山が見せた気合いのゴールや都並離脱で参加した三浦泰の戸惑いなんかは忘れ去られる。
もちろん、全試合みればわかることだろうけど、なかなかそんな奴いないだろうし。
作り手が高い見識をもっていないといけない。
2006/2/8(水)10:27

☆関西人
「記録に残らないが記憶に残る選手」というのは、久保に限らずたくさんいると思うんだよね。例えば、藤田なんかはドイツ大会に出る可能性は極めて低いが、彼がいなければアジア予選突破は危うかった場面は幾度かあった。本当に功労者だよね。しかし、百年たってジーコジャパンを語る時に、藤田の名を語る人は果たしているだろうか?98年大会においても、日本人W杯初得点として中山のゴールは繰り返し語られるだろうが、アシストした呂比須の存在を語る人は百年後にいるだろうか?彼がいなければ、アジア予選の突破が危うかったことを語る人はいるだろうか?
華々しい記録や記憶が後世に歴史として語られる中で、その歴史を陰で支えた功労者の存在を語ることができるのは、同じ時代を生きた目撃者としての我々しかいないんだよね。我々がそうした人物の記憶を抹消してしまえば、後世に証言する人はいなくなる。スポットライトに照らされてる以外の部分をきちんと記憶し、子や孫の世代に語り継いでいくことは意外に大切なことだと思うんだよ。
かつて、日本が五輪で銅メダルを獲得した時代があった。この偉業を語るにあたって、スター釜本や杉山ばかりがスポットライトを浴びている。多分、彼ら以外にも素晴らしい選手はたくさんいたんだと思うんだよ。実際見てないからあくまで想像だけどね。でなければ、銅メダルなんか簡単に獲れるもんじゃない。でも、後世とは冷たいもんだ。少なくとも私は、彼ら以外にどんな選手が存在していたかを知らない。
私はジーコジャパンを後世に語る時、決して光の当たる部分だけでなく、陰の部分に至るまで余すことなく子や孫に伝えていきたいな、と思ってるよ。
2006/2/8(水)1:05

☆老婆心
久保。
確かに数字上の記録には残らないかもしれない。そして、これまで「記録」といえば数字上のことだった。だとすれば語り継ぐしかない。
しかし、今は記録と記憶の中間的な存在として、映像がある。
たとえ、これまでの記録がすくないとしても、或いはW杯で得点が少なかったとしても、仮にW杯でスーパージャンピングボレーを決めれば、その映像は多分世界中で、ことあるごとに放送されるだろう。(優勝できなかったジーコのボレーは今でもよく流れる)
久保については、細かいことは言いたくない。
映像に残るような、たまにフト見たくなるような豪快で派手な1ゴールがあればそれでいいな。(1ゴール以上あればもっといいけど)
2006/2/7(火)0:29

☆関西人
続・久保論
久保は後先考えないタイプだと思うから、自分の選手生命なんてものを考えずに今回の遠征に臨むんだろうね。なんせ久保なんだからしようがない。誰の忠告も省みず、トラック運転手への道を歩むんだろうね。
彼は、記録に残る選手じゃない。カズや中山や高原のように得点王を取ったことはない(日本人得点王は何度もあるが)。Wユースや五輪やW杯で世界の大舞台に立ってもいない。欧州リーグでプレーしたことも無い。高校サッカーのスターでもなかった。ただ、それでも私たちは彼が凄い選手だということは心の底から知ってる。
「記録に残る選手になるより、記憶に残る選手になりたい」ってフレーズはスポーツ界の定番だが、久保は記録には残らないが記憶に残る選手だよね。キャバクラで寿司を投げたとか、泥酔状態で試合に出たとか、自分を削ったDFを試合中に追いかけ回したとか、伝説は本当に数多い。しかし、そうした記憶は儚いもの。記憶してる我々が死ねば、多分忘れられてしまうだろう。記録は残るが、記憶はいつか消える。哀しいね。久保ほどの逸材が忘れられてしまうとは。いやいや、実は彼の名前を記録に残すビッグチャンスはまだあるんだ。それが、今回のドイツ大会だよ。歴史に名を刻むラストチャンスだと思う。だからこそ、彼には頑張ってもらいたいんだ。
と言いながら無理かもしれないな、という思いも実はある。なんせ、久保だから。そうなった時はそうなった時として私たちに出来ることは、少しでも彼の名前を後世に語り継ぐことだ。「お爺ちゃんが若い頃に久保という凄いサッカー選手がおってな、彼はキャバクラでな…」と孫の世代にまで久保伝説を語り継ごうじゃないか。
2006/2/6(月)23:18

☆老婆心
パルミ氏>「一度ボール持つと、とられるまで離さない(笑)得意なのはコーチング。声だけはデカイからね(笑)」
性格出てるねー。

で、俺もこの話に乗りたいんだが、小学校では地元で盛んだったこともあってラグビーをやってたよ。しかし、まあ戦術練習やパターン練習が多い指導者で、小学生には非常につらかった。
サッカーは中学生からなんだけど、サッカーの自由な雰囲気が小学生の時から凄く眩しく感じていたな。
キャプ翼の影響もあるけど、やはり大きかったのは82年のスペイン大会決勝をテレビで見たことだな。
録画放送を次の日に見たんだけど、ものすごいカルチャーショックだったのを覚えている。
試合内容じゃなく、スタジアムの雰囲気に。
野球とかの雰囲気と全く別物だっておもったな。凄くかっこよかった。

プレーヤーとしては、「考えられる中で、いつも一番難しいプレーを選択していた」などというどっかで聞いたようなことを考えてプレーを選択していた。しかし、当然バッジョみたいなテクニックはついてこない。
そんな奴は、試合で役に立たないよね。まあ、これでわかるだろう。
サッカー観戦は、昔からマニアックに見てたよ。
中学のサッカー部の練習をサボって、86予選韓国戦の木村のフリーキックをテレビ観戦していた。腹が痛いっていってね(笑)しかし、木村のフリーキックが決まると立ち上がっていた。「腹痛くないの?」(母親)

まあ、サッカーを考えるようになったのは、WOWOでセリエの放送が始まったときくらいかな(まだマラドーナが出てた)。しかし、あれからもう10年以上たってるのか、はやいな。
2006/2/6(月)22:49

☆パルミ
草サッカー論
自慢じゃないけど(←この言葉自慢以外にしか使われない)恐らく僕は30カ国以上の人達と草サッカー(公園サッカー)をしたことがある。

草サッカーってのはその国のサッカーの特徴が顕著になる。

例えば日本。細かいパス回しが暗黙の了解で行われ、FWは無理な態勢で打ち急いではいけないことになっている。知らないやつとプレーするときはポジションはローテーションで協調性が非常に高い。参加してる人全員がたのしめることを考えてプレーする。

ブラジル人はまずFWしかやらない。FWやりたい人が5人いたら、『頼む、俺はFWしか出来ないんだ、お前は中盤をやってくれ』とゴリ押ししてくる、しかしその意見が通らないと簡単に『よし、じゃーFWは5人で行こう』もはや自分がFWやれればなんでも構わないらしい。これに似てるのがアフリカ人。しかしアフリカ系はもっと汚い。『お前はMF、お前はDF、そして俺はFWだ』など他人の肩を叩いて勝手に他人のポジションまで決めてくる。文句をいうと『MFがいやならDFに変えてやる』と、とにかくFWは譲らない。さらに文句をつけると『よしわかった。これは最大限の譲歩だ。俺がFWをやるから後は好きにしていいぞ』ってことになる。
これだから草サッカーは面白い(笑)
2006/2/6(月)20:34

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