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過去ログ73 2005/11/12 23:31

☆パルミ
今日はちょっと時間が
あるのでもう少し詳しく書いてみよう

 ジーコ大学では442の方程式を覚えていないと授業についていけない

 例えば4バックで守っていても、両サイドバックがいっぺんにあがって2バックになっても構わない。でなければ引いた相手をうまく崩せない。
しかし、その時は相手の2トップの一人をボランチが見なければならない。そしてそこでCB2人とボランチ1人の3人で相手の2トップ2人を見る

ブラジル人学生はこういう442の方程式を義務教育で教わっているのでジーコ大学ではいちいち教えない

日本人学生は義務教育で442をならっていないから、チンプンカンになる。

ジーコ教授も義務教育の現場では教師をつとめたことがないので442自体を教えることがうまくできない。
2005/11/12(土)23:31

☆パルミ
いやぁ
わかりやすいですね、その表現。
日本はジーコ大学に入る偏差値があったのか、甚だ疑問だ。川渕キャプテンのコネ入学でなんとか浪人生になることは間逃れたって感じだよね(笑)
ジーコ以外に日本に適した監督なんて腐るほどいたのに、監督選ぶ時って本当に協会は、ずさんだよね
2005/11/12(土)23:06

☆関西人
指導論
ジーコの指導法を見てると、「大学のゼミ」を連想してしまう。前任のトルシエが教科書・参考書・問題集を使って方程式(戦術)を選手達に叩き込んでいく「予備校教師」のようなタイプとするなら、ジーコの場合は教科書をあまり重視せず生徒達にディスカッション・グループ研究などをさせてレポートを提出させる「大学教授」のようなタイプに思う。「〇〇大学合格50名」みたいな明確なノルマ達成を考えたら予備校のやり方の方が効率が良いだろう。対して、大学のゼミはノルマ達成なんて概念はないので効率は良くないかもしれないが、実質的な「学ぶ」ことの醍醐味は予備校よりもゼミの方にある気もするな。さて、代表監督には例えば「W杯本大会グループリーグ突破」みたいな暗黙のノルマは確かに存在する。その一方で、代表には日本のサッカー文化を牽引するリーダーとしての役割をも求められている。つまり、ノルマだけでなく実質的な部分も求められてるんだよ。この「実質的な部分」という意味では、私はジーコのやり方は少なくともトルシエよりも高く評価するね。こういう言い方をするとトルシエ支持者の方々には反感を買うかな(KENさん見てるかな・笑)?まあ、トルシエを「予備校教師」呼ばわりするのは、決して否定的な意味だけで表現してるわけではないのでご了解下さい。と同時にジーコを「大学教授」呼ばわりするのは、リスペクトを意味する表現だけではないことも併せてご理解下さい。
2005/11/12(土)22:58

☆パルミ
追記
だから4バックにすることによっていくつかの約束事を省いているんですね
 
これはブラジル人監督とかの手法ですね
2005/11/12(土)22:46

☆パルミ
まさにそのとおり
だと思いますよ

日本は3バックで押し込まれると5バックになる
これは日本が昔から抱える悪しき伝統なんですよ。ジーコはそこを見抜いている。そこを細かな約束事で5バックにならないように押し上げるよりも、選手たちが理解しやすいように、最初からバランスのとりやすい4バックにしてしまおう、というのがジーコのやりかたなわけですよ

 日本はね昔からフォーメーションを決められると、それを守りすぎるきらいがある

 トルシエ時代はは3バックで押し込まれたときに右サイドの選手がうまく最終ラインに加わり4バックのかたちで守ることによって、うまくバランスをとっていた

ジーコはそんなことするなら最初から4バックでいこうぜって考え方なんですよ
2005/11/12(土)22:43

☆老婆心
パルミ氏
DFの枚数を3にするか4にするかでそんなに攻められなくなる程変わるなら、ジーコのベースって一体なんだろうね。
ジーコが好意的であろうがなかろうが、ベースが一緒ならそれほど変わらないはずだよ。一人余れとか急がないで大事に繋げという最低限の約束事だけでは対応出来てないってことになる。なら、ベースは非常にヤワだといわざるを得ない。
攻めの人数が変わるなら同じポゼッションでも随分やり方は変わってくる。肝要なのはチームとしてどうポゼッションするかじゃないかな。
それこそが、十把一からげのマクロ的視点でない「ベース」だと思うな。
2005/11/12(土)22:32

☆パルミ
老婆心さんが
指摘するようなことはあるかもしれませんね。

たとえばコンフェデのメキシコ戦。

これはトルシエ時代のサンドニの悲劇にあたると自分は考えています

ジーコ監督は対中南米の試合の時に日本が3バックの形にすると5バックになってしまうことを知っている。だからあまり3バックに好意的ではないんだよね。

でもメキシコ戦は「お前たちが3バックで戦いたいなら、それで戦ってみろ!」という気持ちが腹のなかにあった

案の定、試合巧者なメキシコは後半から両サイドを高い位置にはりつけ、加地とアレックスをディフェンスに釘づけにする

 そしてジーコは「ほれ見たことか、君たちが3バックで押し込めるのは一部のチームに限られるんだよ。君たちは3バックだと押し込まれたときにすぐに5バックになって攻撃の手数が少なくなる。だからもう少し攻撃に人数が出られるように、4バックにしようじゃないか!」
っていうのがギリシャ戦になったわけだ
2005/11/12(土)21:57

☆老婆心
ちょっとした期待はある。もしかしたら、ジーコは意図的にこうしてるかもしれない。
ジーコが手取り足取り教えるようなチーム作りは出来るが、前監督の呪縛から解き放ち、自分達で約束事を作り上げていくために、敢えてそうしてきた。で、最後になって足りない部分だけをジーコが補完し、本番で完成する。だから、それまでは選手間の自主的な議論などはグッと堪えている。

だといいんだが、もし違ってたらやっぱり不安だな。結果が出れば、選手間がうまくまとまるけど、そうでない時にはバラバラに成り兼ねない。
そんな時、約束事は強固なほど輝く。
2005/11/12(土)21:41

☆パルミ
関西人さんが
いう最低限に抑えた約束こそがベースだと僕は思っています。

ポゼッションサッカーがマクロっていうのはどうかな?僕はそうは思わないし、関西人さんの意見として尊重しますが、今までそんな意見を聞いたこともないので、新たな見方だなと思います

 だから僕なんかは、東アジア選手権にしろ、小野や中田が変わったにしろ、ベースは変わってないと感じてしまう

アジアカップは攻撃の面でベースが違っていたとは思う。けれど守備のベースは一緒だった

ジーコのチームの作り方は選手がかわれば細かい約束事が変わってくる。これはあくまで細かい約束事と私はとらえています。

こういういチームの作り方が決して悪いとは思えない。南米の監督はこういうチームの作り方する監督が多数

ただ日本には適していないのも確かだ。海外組みがいつも帰ってこれるわけではないし、日本には歴史によってつみあげられた戦いかたやシステムがあるわけではないから

 福西が出られないのは知りませんでした。スポナビみてものってないし、完全に見落としてましたね。原因はなぜでしょう?怪我かな?出れないのだとしたら、またテストになる部分も出てきてしまうでしょうね。
2005/11/12(土)21:36

☆関西人
パルミさんへ
繰り返し言うけど、「ベース」ってのは突き詰めれば「約束事」に行き着くんだよ。ジーコは約束事は最低限度に抑えて指導していくタイプ。だから選手間でそれを積み上げていく作業が必要になったわけで。結局選手ありき、になってしまってるんだよ。で、私は昨年と今年とでは「ベース」が大きく変わったと思うな。なんせ「心臓」が小野から中田に変わったんだから。例えばオシムの場合は監督が「ベース」を創ってるから選手が多少変わってもブレないが、ジーコの場合は選手ありきだから当然ブレるんだよ。東アジア選手権のチームとコンフェデのチームなんて、どう見ても全く別物じゃないか。昔から「ベース」はずっと同じなんてことは断じて無いさ。「ポゼッションサッカー」「パスサッカー」なんてマクロな捉え方でチームの「ベース」を解釈するような、大雑把な話をするなら別だけどね(笑)。そんなレベルの話はしてない。本当にこのチームは選手ありきだな、と痛感したのはイラン戦前に中田と福西が「約束事」をめぐってモメた時。現場にいた選手達の証言によると、その口論の場にジーコもいたのだが、彼はその場で何も決着をつけなかったんだよ。結局「約束事」の決裁を選手間に託してしまってるんだ。伝説の「アブダビの夜」は選手主導で開催され、ジーコは不在だった。どうなんだろうね?アンゴラ戦はさほど心配してない。「選手ありき」のチームの中で、選手は割と揃ってるから。むしろジーコの真価が問われるのは、選手の揃わない来年からの強化だな。その時に改めてチームの「ベース」を語ろう。
2005/11/12(土)12:42

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