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過去ログ195 2007/1/22 23:15

☆ざこばビッチ
例えば
代表戦に招集されても出番のないまま試合を終えてしまう選手がいます。

『監督!俺はいったい何のためにチームに呼ばれたんですか!?』
と掛け合う選手はいるんでしょうか?
彼らはプロ、プライドを持って仕事をしているはず。
自己主張して“生意気なヤツ”“和を乱すヤツ”と嫌煙されてしまうより、
ぐっと堪えて、陰口を叩くほうが良しとされるんでしょうか?
2007/1/22(月)23:15

☆ざこばビッチ
確かに
頭でっかちになっている印象は強いですね。

なんか技術や理論ばかり先走っている。

やはり勝負ごとなんやし、闘志や執着心も大事でしょう。

議論が得意になっても…
2007/1/22(月)22:48

☆関西人
「セッション」の国であるブラジルが生んだ天才ジーコもまた、おそらく日本代表にセッションの精神を求めたんだろうね。しかし「音楽の授業」の国である日本では、そういうジーコの指導に「譜面が無い!」「指揮者が指揮棒を振らない!」と大バッシングしたんだよな。互いの音楽観にギャップがあったとしか言い様が無い。
ジーコの誤算は、日本人選手があまりにも「共通認識となるセオリー」を構築できなかった、ということ。例えば、中田英と宮本の間で生じたライン取りのギャップ。多分、中田はラインを高く上げてコンパクトにし、高い位置で球を奪ってショートカウンターで裏を取るイメージ。逆に宮本は、自分の裏のスペースをケアしたい意味もあって、ゾーン自体を後ろに設定したい気持ちがあったんだろう。こうなるとセッションは難しい。エレキギターとフォークギターの掛け合いだからね。やはり、せめて楽器のニュアンスくらいは揃えておくべきだった。
昨年にDVDで「1436」というのを観たんだ。これはW杯終了後にTBSで放送された番組らしいんだが、私はそれを見逃していたので不本意だがDVDを購入した。内容自体あまり面白いとは思わなかったんだが、唯一興味深かったのは、ジーコの指導する練習風景が延々と撮られてる部分。クロアチア戦前の練習の際、ジーコが中田に説教してるシーンが特に面白い。高い位置から球を奪いにいく中田に「すぐ奪いにいかず、まず前に立ってパスコースを消せ」とジーコ。神妙な顔でそれを聞く中田。その場面以外にも「高原、もっと下がれ」「球は相手に持たせろ。後で奪ればいい」と指導をしてる。つまり、この時点でエレキギターVSフォークギターの対決は終了していたわけだね。明らかに監督は後者を選択していた。そこでは明確に譜面を出していた。4年間ずっとセッションの成立を期待していた彼だろうに、何か凄く哀しく見えたよ。
日本人にセッションが出来ない、とは言いたくない。オシムが言うには「サッカーは日本人に合う競技」。だが、やはりそこにはまだ補助が必要だとも思う。選手が指揮者に頼らず意思統一を図るのは難しい。最低限の譜面は要るんじゃないだろうか。それを基礎にして、そこから少しずつ即興の領域を広げていけばいい。皆、楽器はそこそこ演奏できる奴ばかりだと思うよ。やり方次第で、結構イイ音出すと思う。
2007/1/22(月)19:44

☆菜の花
考えて走るサッカーなんてのは当たり前でサッカーってのは考えて走るスポーツだ。 
小さい頃から当たり前にそれをやってきたか、何処に走ればいいかを教えてもらえないと動けないような環境でやってきたかで大きな違いがでてくると思う。
日本人は頭でっかちになりすぎる。 悪いことではないだろうけどサッカーには向かない。
2007/1/22(月)1:33

☆菜の花
小さい頃エレクトーンを習ったり、バンドブームに乗っかって友達と楽器をいじってたりしたこともあるから少しは音楽がわかる。
いきなり理屈から入ってもダメ。 まずはたくさん音を聴かないと理解できない。 
即興する場合なんかは理解してなくても感覚でなんとかなる。 セオリーを考えるより周りの音をよく聴くことが大切。
決めごとはあるだろうけど、コード進行くらいじゃないかな?
リズムとベースをよく聴けばなんとかなる。
即興では頭より先に手が動く。
どっかの誰かが「1枚の優れた作品を作るためには、1000枚の作品を聴かなくちゃならない。」って言ってた。
サッカーも一緒だろう。
理屈より感覚を養って頭より先に体が動くようにしないといけない。 
2007/1/22(月)1:18

☆関西人
板長さんへ
2足3足のワラジを履くことは、意義深いことだと思うよ。ガンバの二川などは、ガンバを応援してる私からすれば元々素晴らしい選手だと思ってたんだが、代表に呼ばれてからというもの一層良くなってるように感じる。クラブと代表、2足のワラジ効果だよね。
そもそもエリートと呼ばれる選手ほど、2足のワラジを履くケースが多い。高校生の頃から所属する高校サッカー部のみならず地区トレセンに召集されてるもんだし、国体に県選抜チームで出場したり、U代表で国際試合に出たり。皆2足3足のワラジを履いて、またそれが彼らの成長を加速させてるんだと思うよ。才能を狭い所に閉じ込めてしまえば、そこのお山の大将になってしまって成長の曲線が緩くなってしまう。
当然、高校と県選抜では与えられるタスクが微妙に違うもんだろうし、難しい部分もあるだろうな。でもさ、音楽の世界で即興演奏、セッションってあるじゃない? 布袋寅泰とCharがギターセッションしてるのを最近見たことがあるんだが、大した事前打ち合わせも無いらしいんだがキッチリとカッコいい掛け合いが出来てるんだよな。ギターが全く出来ない私としては驚異の領域なんだが、多分あれにはある程度のセオリーがあるんだと思う。相手がこういう音を出してきたら、こっちはこういう音を出す、みたいな。共通認識となるセオリーが無ければ混沌で終わってしまって、それこそ音楽じゃなくノイズだよな。
しかしそういう「共通認識となるセオリー」なるモノは、学校の音楽の時間には教えてもらえるもんじゃない。音楽の授業は、どっちかと言うと譜面をキッチリ把握してキッチリ忠実に演奏することに終始すると思う。もちろん、それは基礎として一番大事なんだろうが。でも、一流を志すならそこで終わりたくないよね。
多分、ブラジルのサッカーってのはセッションなんだろう。逆に日本の場合は、音楽の授業から脱していないのかもしれん。譜面を見ろ、指揮者を見ろ、って感じ? 布袋とCharのセッションに、当然指揮者なんていないよな。相手が指揮者で、また自分が指揮者でもあるんだろう。そういう領域まで達することが出来たなら、どれほど楽しいことだろう。
そして「共通認識となるセオリー」の会得には、色々な相棒と組む方がイイんだと思う。名ギタリストは、皆そうしてるから。
2007/1/21(日)23:13

☆板長
ざこばさんのブラジルについての話を受けて、考えた。そんなにポンポンプレーする場所を変えてしまっては連携も良くならないだろう、それでは自分の色も出せず終いで終わってしまうのではないか。そういう選手は結局、選手権のような舞台が国内最高峰の日本じゃ活躍出来ないんじゃないか。


…と考えていたんだけど、ちょっと考えが変わった。ポンポンプレーする場所が変わって連携が取りづらいなら、初めてでも溶け込める術を身に付けるはず。要は、サッカーに於いてのセオリーが身に染み込むんじゃなかろうか。自分がチームの歯車になるってことが上手くなるんじゃなかろうか。サッカーと言うのは団体競技なんだから、自分の色を出すよりももっと大事なことがある。まずはそれをこなし、それから初めて自分の色を出せる権利を得る。逆では決してない。それが許されるのはほんの一握り。

これはあくまで印象に過ぎないけど、ブラジル人ってどのチーム行ってもすぐ活躍する印象がある。と言うよりブラジル人が活躍しないチームなんて無いんじゃなかろうか。代表だってドゥンガが初招集を試合に何人も出してるけどそれなりにやってのけちゃうよね、選手は。逆に小笠原なんてどうだろう?試合見てないから偉そうなこと言えないけど。能力は間違いなくある。ブラジル戦では俊輔より数段光ってた。さすがオガサ!なパスも数本あった。でも出てないってことは歯車になれてないからって言えると思う。ブラジル人の凄さってのはやっぱりそういう制度にもあるのかも。深読みだろうか。
2007/1/21(日)21:45

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