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過去ログ174 2006/10/9 10:41

☆ざこばビッチ◆MaTa
ACミラン 87'〜91'
保守的なカルチョの世界で革命を起こし、イタリアサッカーの過去と未来の間に太い線を引いたといっても過言ではないミランのサッキ。
サッキ以前と比べて最も大きく異なっていたのは、
独特のトレーニング・メソッドで、練習にも試合並みの密度と集中を要求し、一定のメカニズムを本番で完璧に再現できるようになるまでトレーニングを繰り返す。
サッキ政権一年目のミランはスタートでつまづき、UEFAカップは2回戦で敗退、セリエAでも苦戦が続き、サッキに対するサポーターの不満は爆発寸前にまで膨らみ解任の話しもありましたよね〜
2006/10/9(月)10:41

☆関西人
ちょっと気になって調べてみたんだけど、昨シーズンのセリエ・リーガ・プレミア、各々の総ゴール数を比較してみると、実はセリエが一番多いみたいだね。次いでプレミア、一番少ないのがリーガだった。これは意外なデータだなあ、と思ったよ。どちらかと言うとセリエが一番ロースコアのイメージが強いし、逆にリーガが一番イケイケにゴールを量産してるイメージが個人的にはあったからね。
各リーグ1試合当たりの平均ゴール数を書くならば、セリエで1.30、プレミアで1.24、リーガで1.23、って感じ。ま、そんなに大差はない。
ところでJはどうなんだという話だが、これもまた意外なデータが出た。Jの昨シーズンの結果から調べてみると、1試合当たりの平均ゴール数は、なんと1.42。明らかに欧州リーグよりもゴールが多い。そしてこれは昨シーズンだけの話に終わらず、今シーズンの今の段階でのデータを出してみると平均ゴール数は1.62。なぜか昨年のペースよりもさらに上がっている。
Jって、実は攻撃的サッカーの環境だったのか? うーん、確かにデータとしてゴール数は多いんだけどねえ。だけどこれはざこばさんが先に書いてたように、得点とは守備のミスによる産物、という捉え方をしてしまうなら、「守備の甘いリーグ」という解釈の方が正しいのかもしれないな。Jの1.62点とセリエの1.30点ではゴールの重みが違うというか。
イタリアに凄いFWが多いことは、裏を返せば凄いDFがいるからこそだよね。FWは、厳しい守備の洗礼に揉まれてこそ育つ。逆にDFもまた、優れたFWとの対峙によってこそ育つ。イタリアにはこういう好循環があるんだろう。
で、仮にJが「守備の甘いリーグ」だとしたら、なかなかスーパーなFWが輩出されないことも理に適っている。そしてスーパーなFWが輩出されないからこそ、スーパーなDFが輩出されないのかもしれん。悪循環? 中にはワシントンのような世界規格の奴もいるんだけどね。だけど欧州ではあのクラスがゴロゴロいるとするならば、日本人の日常受けてる洗礼など、甘いモノかもしれない。
克服を考えるならば、ワシントン級の才能を多くJに輸入するか、スーパーなDF輸入するか、あるいはもっとJの国際交流を増やして洗礼のレベルを上げるか…。
(※文中の数字に計算間違いがあったらゴメンなさい)
2006/10/9(月)0:34

☆ぶぇっかむ◆uGkZ
イタリアとカテナチオ
古代、イタリアにはポリスという都市国家群が形成され、他都市からの侵略から防衛することが自らの生活を守る手段となりました。

カテナチオとは閂

得点より無失点を重んじ
勝つことより負けないこと。

やはり日本人にその守備精神を理解するのは難しいですよね(;^_^A
2006/10/9(月)0:27

☆菜の花
『一体感』というのはプロスポーツにおいてキーワードとなるものだろう。
客席で見つめる数万の観衆が同じ気持ちになる。テレビまで含めると数百万〜数千万の人間が気持ちを一つにする。
これはとんでもないエネルギーを生むと思う。

しかし、この一体感も意図的に作られたものであれば興醒めだ。

日本に限らず、東アジアの各国は欧米諸国と比べ、一体感のある応援を好むように思う。 これには歴史的文化的な違いがあるのだろう。一概に、東アジアのスタイルを悪といいきる自信はないが、殊サッカーにおいては、作られた一体感の中に身を置く安心感よりも、個人の感覚、思考を重視した観戦の方が適していると感じる。
サッカーとは昨今言われている通り、考えて、自ら行動することが重要なスポーツ。 他人に合わせていては、サッカーで勝利することは難しい。

選手達は変わろうとしている。 応援する側はどうするべきなのか?
2006/10/8(日)23:33

☆とも助
客が客を呼ぶ
量も無視できないですよ
ワールドカップをスポーツバーで観戦し共に涙した普段サッカーをあまり観ない女の子達は今のメンバーは巻と川口以外まったくわからないそうです
ジーコはメンバーをオールスターのような選出、そして固定化させていましたからメンバーの認知度は高かった
今はメンバーが刷新され見知らぬ選手ばかりで関西人さんのいう感情移入できない状態なんですよね

また、ミーハーっていうのは試合のレベルどうこうというより一体感を求めていると思う
日本代表、浦和、野球でいう阪神は大観衆の一体感のある応援が一番の集客力だと思うんだ
客の量が客を呼びそして感情移入をもたらす
みんなと馬鹿騒ぎしたいけど今は祭とかそんな熱くなれるイベントはない

日本代表は『祭』なんですよね
2006/10/8(日)22:03

☆菜の花
難しい表現を使うくらいなら、『ら』抜き言葉を先直せ。
2006/10/8(日)12:01

☆ざこばビッチ
所謂、美しいサッカーは好きだが、タイトルに縁のないサッカーは好まれないのでしょうね。
2006/10/8(日)11:10

☆ざこばビッチ
あるときを境として
スタジアムに行かなくなったイタリア人も少なくない。失点しないためだけに90分間続く試合の繰り返しに、いい加減うんざりしたからである。
またカルチャトーレのなかには、ありとあらゆる観衆に特別な感動をもたらす並外れた創造性の持ち主が存在する。ピッチ上に蔓延する予定調和をワンプレーで覆し、退屈な戦術主義を無意味なものとし、なによりも純粋な美と驚きを与えてくれる。そこに理屈は一切なく、ただ単純に心を揺さぶれるだけ。
2006/10/8(日)10:58

☆ざこばビッチ
イタリアでは
ゴールが多いほど観戦者の喜びも増すという考え方は広まりようがない。
ゴールは守備側がミスを犯して決まるもの、攻撃側の偉大なプレーによって決まるものではない。
あらゆる失点はミスの産物で、ゴールネットが揺れたとき真っ先に探すのは、得点の功労者ではなく、失点の責任者。
スペクタクルかどうかなど、イタリア人にはどうでもいいことで、応援するチームの勝利を見届けようとスタジアムに足を向ける。
それ以外のことには関心がないらしい。
2006/10/8(日)10:44

☆関西人
攻撃的なサッカーと守備的なサッカー、基本的には前者が好きという人の方が多いと思うんだよね。しかし昔からよく聞く話だが、カテナチオで知られるイタリアでは、1‐0の勝ち方が好きっていうじゃない? 応援する者の立場とすれば、1点でも多く自チームが得点するシーンを見たい、と考えるのが普通の感覚と私は思うだけに、そういうイタリア人のメンタリティはイマイチ理解できない。
だけど本来イタリア人ってのは、そんな守備的な国民性には思えないんだよな。彼らの女好きは有名だし、女を見ればとりあえず声をかけるイメージがある(イタリア人に失礼かな?)。ある意味、攻撃性豊かだ。ミラノから発信されるファッションにしても、コンサバでなくイケイケなモノが多い。クルマにしても、フェラーリにせよランボルギーニにせよイケイケだ。なのに、何でサッカーはイケイケじゃないんだろう? 昔から不思議だ。
そういう見方をするなら、日本人の方がよっぽど守備的な国民性に思えてしまう。和を以て尊しとなす。出来る限り自我を抑制して調和を優先し組織を成り立たせる精神。自己犠牲の精神。勤勉性。安定志向で貯蓄を好む気質。世界基準と異なり血液型はAが多いという特徴。…色々なディテールが、守備作業に適してると感じるのは私だけだろうか? なのにトルシエは、「日本人には守備のメンタリティが無い」と断言した。体躯に恵まれない日本人だから、世界基準のDFが少ないことはそれなりに納得する。しかし、守備とはDFだけのモノじゃない。私は、日本人にも守備はできると信じてる。
ただイタリアの場合は、守備意識の強いお国柄の一方で、意外とファンタジスタの宝庫でもある。彼らは前線の2〜3人だけで点を取るからな。それこそ圧倒的な個のファンタジーで、前線の数的不利を突破してしまう。その部分は、まさにフェラーリ。だからこそ、裏を返せばチームが守備に徹することも許容されるんだろうな。そういうバランスでカテナチオは成り立つ。
哀しいかな、日本はフェラーリもランボルギーニも有してはいない。そういう意味では、カテナチオは難しいだろうね。燃費が良く小回りのきく小型車なら、たくさん持ってるけど。じゃ、その小型車に適してるのは攻撃的サッカーか守備的サッカーか、というのは意外に難問だぞ。
2006/10/7(土)22:49

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