僕が陰で他人の批判をする事より、黙していた方が断然僕的に本質的な理想ではある。でも僕は違う。つまりはそうのだ。
僕が仕事ができる人と飲みながら話しをしても噛み合わないのは、頭の良し悪しが原因かも知れないし、自身がそこで闘えないからといって、とっくに諦めた事だからなのかもしれない。とにかく彼等の言うことがわからない。分からないというか、そんなことどうでもいい事だと思ってしまう。もう、きっとプライドも地に堕ちて、生きる事で十分だと理解するのではなく、そう感じるのだ。そして自分より悪い人間を叩くのだ、自分には理解できないと口にしながら。環境が違えば、自分のスタンスは違ったのだろうか、いや、そんな妄想はくだらない。
僕が憤慨することには、理由がきちんとあって、その理由は僕にとってはもっともだと思っているのだけれど、君にとってはもっともな弁明があるのかもしれない。でも僕は君ではないし、弁明も聞くつもりもないから、結局何もわからない。もう、話し合う事なんて面倒なんだ。今までのパターンなら、結果僕が理論で君に原因を指摘して、僕の正しさを示すだけ。でも、そんな事で君を追い詰めても、残るのは不穏な空気だけで。

だから、僕はもう正しさの主張は辞めて、君の好きな店の小さなプリンを買って帰るよ。
別に事実ではあるのだが、だからと言って誰かに言うべき事ではないし、更に自分が伝えようと考える人以外が聞こえてしまう場で言うべきではない、人の悪口なんか。では、家庭ならいいのか、いや、本人以外に言うべきではないのだ。それなのに喜々として吐き出した自分が情けない。酷く恥ずかしい人間は自分だ。とにかく下劣な人間は己自身だ。
セサミンというサントリー社のサプリメントを試飲していたのだが、値段と効果を比べた結果、定期購入はしない。というか、元々お試しのつもりだったし、試供品だし、試した結果だから仕方ない、が、メールに『これが最後です』っていうメールの後、『特別に割引購入できる期間を延長しました。』とか書いたメールを性懲りもなく送ってきて、今後は直接電話をかけてくる。どこかの小規模な商社ならまだしも、天下のサントリー様が小賢しい手を使う事に少々驚いた次第です。電話相手もなんだか不慣れな感じの方で、なんか派遣の方とか、外注なんだろうけれど、逆に不憫になりました。『一カ月\5,000は自分には高いと感じました。だから、買いません。』そう言うと、『一回三錠を一錠にすれば、三カ月\5,000ですよ。』なんて言わされて。そうしたら、更に細切れにすれば、一年でもいけるじゃあないってなりますわな。電話口の相手に同情してしまいます。きっとノルマとかあるのでしょうねえ。

というサントリー社の小話でした。
別に深い考えではなく、色々な回答を提示して、その内しっくりくるヤツがあると採用みたいな。いや、ニュアンスは自身の内面にはあるのだが、より正確に表すための模索による結果だったり。ここ十数年に始めた事ではあるけど、苦にはしないから、まあ、こういう結果です。頭がいい人なんかは、そんなに考えなくたって答が出るのかもしれないし、そもそもどうでもいい事もあったりするかもしれない。それでも別に暇をつぶしているのではないってのが私の主張です。

そうそう。
今日の考えた事はね、社会は結果主義でもっとも、言い返す言葉もございません。だから、結果出せなきゃ責められても仕方ないけれど、全てをマニュアル化して、エッセンスの抽出にだけによる成果は、実感や本論の理解に必ずしも届かなくて、後々本人にとって意味を失う可能性を多分に含んでいると考える。まあ、弱者の戯言とも言われるかもしれないが、別に弱者でも、構わない。自分は弱者とか負犬とかの烙印よりも、自己納得・満足というのを重視するのだから。誰もが何に依存しようが、何を優先しようが、自由なんだ。だから、成功者や権威者でなくても私はいい。
ノールールマッチです。
マッチに付け加えるならdeathマッチです。いやいや、別に人生の一部という意味であって生きるか死ぬかなんて白黒な意味では無いです。でもそろそろ気が付いていますでしょ?有限の時間の一部を代替えして過ごしている事に。

早死にしたって、それは君にとってのコンティニューできないゲームオーバーで。他人とっては一つのイベントです。それが重い軽いを言うのではなく、事実ってだけが近い人達の記憶に残ったり、はたまた時間によって風化してゆく記憶だったり。存在はそこに各々の形で存在するのみ。

こんな戯言で少しでも僕の存在記憶がこれを読んだ人の中に残ったなら、悪い気はしない。でも死なないと結果はわかりませんが。

いや、まだまだ人間ドックとかで断定されるまで死ぬ事は考えないけどね。

後何日生きられるか分かったなら、まだ今よりは自由に生きられる気がするけれど、まさかそれは望んでいませんので、不自由に上辺の生き方を繰り返すのだ。

ああ

僕や君だけの話ではなくて


環境の奴隷は人類のほぼ100%の事だろう。

ねえ

疲れながらも笑顔を絶やさぬ人々に少しばかりの安息を。
生きる価値とか意味はないけど、別に積極的に死ぬこたあない。
知りもしない誰かの不幸を嘆くふりをやめたらどうか。
きみはみているか?

現実か妄想か僕は保証はしないけれど、君の肉眼を通して脳に映し出しているものが99.9%が全てだと思ってくれ。神様が居ようが居まいがそれが全てと考えてて概ね差支えない。何かしらの環境変化でふと好奇心や寂しさを感じた事に理由が見つからなくても、探さなくても一行に構わないんだ。現象を科学的に理解しようとしたって、事実が残るだけで、現象に意味は無いのだから。悩む程の事なら、無関心を装うのがスマートだ。

気になるなら、探究してもそれは素晴らしい。

つまりは、どうでもいい事さ。
時には変化を望んで、世界を変えてみるのもいい。

という訳で、いや、望みでもあるので薬を止めてみる。睡眠導入剤は飲むけれど。

明日の通勤電車に乗るまで持ち堪えられたら、少しばかり、いい気分かもしれない。