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5/6 23時
18〜20歳の頃に何かを決意し、
それから数年は何かのために、
その後は全てを自分の人生の回復のために費やしたが、それももう意味がなくなった
努力が経済的に無意味になった時点で、経済的には死んだ
私は一生分のリソースを使い果たしたのだった
つまり、
今後自由市民として振る舞うことはできず、
食事、衣服、天井の脅威にのみ反応する人生しか残っていない
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インスタグラム問題と呼ぼうか
他人のリア充生活と自分とを比較して、劣等感焦燥感を感じ幸福度を下げる一連のそれである
これはたびたび昔からあった資本主義広告──広告者は被広告者を劣等視する──の延長に見えることがある
それまでの我々は、広告者のヒエラルキーを存分に身に浴びているので、いざ自分の番となったら同じ事を反復してしまうと
また無自覚な富裕者と貧困者が、距離の縮退によって出会ってしまうケースもある
私の場合はこれだ
驚くべき量の富裕者から貧困者までを、18歳の1年間だけで出会ってきている
このあたりのことが気になり、
インスタグラムは登録だけして、投稿する写真が思いつかないままだった
(美容室の姉さんには「食べ物の写真でいいじゃないですか〜」と言われたが・・・)
目の前では「リア充ユーリ」のシュプレヒコールが鳴り響いているが、どうも私には過渡期に見えたからである
いつぞやの意識高い系もそうだが、そこには独善さと、“webへの不慣れさ”が見て取れるのである
真のエリートがすることではないなと
真のエリートはwebの視聴者のQOLを下げたりせずに、自らと公共の利することを為せる者だ
これは、よく言うクラスタリングの問題かもしれないが
それこそ私は、一つ横断的な雛形があってもいいのではないかと思う
これこそ帝国主義的にすぎる野心なのかもしれないが──
[Moto G (5) Plus/vmobile]