あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ92 2004/5/6 11:39

◆半共分子
兵庫
「日本」共産党も自由主義?
●自由主義者には、大きくわけて、個人自由主義者と共産自由主義者があると思う。個人自由主義と共産自由主義の違いは、前者が基本的に一匹狼的であり組織になじまない、のに対し、後者は弱者のミツバチ的共同体組織、であることくらいではないか。前者は自己責任の範囲が広く、後者は共同体責任の範囲が広い。
●個人自由主義の立場から、自己責任論に賛同しつつも、何か違和感を感じている人が居るとすれば、それは自己責任論を権威主義者が声高に叫んでいるからではないか。
●権威主義者の尊大さと、個人自由主義者の自我の強さ、を見分けるのは、なかなかに難しい。共産自由主義者が、誤って個人自由主義者を「誤爆」してしまい、権威主義者を蔓延させてしまう。逆もまた同じ。「自己責任」という個人自由主義の鍵語を偽装して、個人自由主義者と共産自由主義者を内輪もめさせるとしたら、権威主義者の思うつぼである。
●個人自由主義者が間違えて共産自由主義者の組織に参加し、組織を乱して査問除名、なんてことが起こる。「市民」運動や「日本」共産党の間違いがあるとすれば、個人自由主義者も権威主義者も同じまとめとして、査問除名して敵に回してしまうことではないか。権威主義が蔓延している現在、個人自由主義者を、共産自由主義者の敵に回すのは戦略的誤りであり、組織からお引取り願っても、組織外では共同すればよいのではないか。
●大マスコミによれば、改憲論も、世論の過半数の支持を得るに至った。アメリカ様の都合のいいように改憲創憲しようというコイズム権威主義。このコイズム権威主義を支持する人が多いのも、日本人の国民性=卑屈な事大主義と尊大さ、のなせる業だとすれば、ことは重大である。
2004/5/6(木)11:39

◆半共分子
兵庫
権威主義社会
●権威主義者は、威張るだけ威張って、具体的になにもせず、仕事も責任も下になすりつけて、手柄だけ己のものとして平然としている。その下にある権威主義者も、また、上に卑屈に下に威張って同じことをする。社会全体としてみると、弱者が更に弱者を支配する構造が出来上がる。いわゆるイジメ社会である。
●臺(うてな)弘氏は「誰が風を見たか」の中で、権威にあからさまに刃向かうパフォーマンスを見せる「新」左翼ヴァンダリズムの本質を、猿山のボスと若猿の争いに譬えて、権威主義を示唆している。
●”ジミン党をぶっつぶす”で大衆受けした小泉純一郎氏が、ジコウ連立の中で、長く首相の地位にあるのも、彼が権威主義者であるからではないか。彼がぶっつぶしているのは、実は(正統的)自由主義なのかもしれないのである。
●首相の責任を常日頃追及しながら、自らの非に対しては、部下のせいにして党首の座にしがみつく、「ミンシュ」党の管さんや、かつての「シャミン」党の土井さんも、結局、権威主義なのではないか。本音は知らないが、「党首の座を捨て一兵卒として」民自合同を実現した小沢一郎君は、反権威主義的で格好よいのだが、合同した相手が間違っていたかもしれない。
●「日本」共産党の過去の幹部の中にも、戦前はコミンテルンの言いなり、戦後すぐはアメリカ軍を解放軍だといい、レッドパージされると地下に潜って今度は毛沢東を崇める、といった権威主義の誤りがなかったとは言えない。
●歴史的に見ると、ファッショの親玉ムソリーニ、ドイツ空軍元帥ゲーリンク、スターリン、東条英機、近衛文麿、などが、典型的な権威主義者であると思う。権威主義は人品器量を小さくする、という共通点もありそうである。
2004/5/6(木)11:30

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