あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ263 2005/8/10 1:44

◆あかはたともみ
東京
>多摩万十郎さん
「今月のあかはたともみ画像について・左手の指が六本ある」

ホントですね!ご指摘ありがとうございます@@さっそく直してもらうようにします@
2005/8/10(水)1:44
HP

◆あかはたともみ
東京
「その上で@2」の補足
考えてみると、一般的な広い意味での「民主主義」と、政党内の組織原則である「民主集中制」とはまた違う話ですよね@
もちろん将来にわたぅても複数政党制を当然の原則として認めていくというのが日本共産党の方針です。
民主主義一般においては、さまざまな考えや政策を持つ人たちがそれぞれ分派→政党をつくり主張していくのは当たり前のことです@@@
2005/8/10(水)1:42
HP

◆あかはたともみ
東京
その上で@3
>満場一致というのは事実なのでしょうか?

それは一般マスコミなどでも報道されているように事実ですよね@
ですが、必ずしも「満場一致」という「結果」=ひとりひとりの代議員が盲目的、というわけではないです@
同時に、@議論を尽くした上
A多数決で決定し
B決まったことには従う
というのが民主集中制なら、別に「多数決」の段階ではもっと意見が割れてもいいとは思いますよね
(@_@)
最終的には真面目で「方針を積極的に前向きに受け止めていこう」という気質をもった人が代議員には多いのでしょうか??
2005/8/10(水)1:30
HP

◆あかはたともみ
東京
その上で@2
>民主集中制が現実に影響力を持つ「幹部批判」「機関への批判」「組織体質(原則や運用)に対する批判」を、分派とすることで全て不可能にする

幹部批判だから、機械的に「分派」とレッテルを貼り、排除するわけではないと思います@
同時に、
「民主主義は分派を認める」こと
までいくと、政党組織の原則としてはちょっとそれは違うんじゃないかと思いました@
「民主主義は少数意見を尊重する」こと
ならしっくりくる気がします@
2005/8/10(水)1:25
HP

◆あかはたともみ
東京
その上で@1
>それにしても、「民主集中制」って言葉は、共産党以外ではなかなか聞きなれない言葉ですよね?

この言葉自体聞きなれなかったりダーティなイメージがつきまといますが、それは意図的につくられたとうこともあります。
不破さんもしんぶん赤旗のインタビュー内で「民主集中制という言葉は、「悪いもの」というぬれぎぬをずいぶん着せられてきたんです。批判する人に、どこが悪いのか聞くと、なかなか答えが出てこない、こんなことがしょっちゅうありますよ。 」
としゃべってますが、70年代に共産党を攻撃して躍進を抑えるために「「暴力革命、プロレタリア独裁、民主集中制は三位一体」論を展開して、それがけっこう今でも影響しているみたいなんですね@@
ほんらい、
 一、党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
 二、決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
 三、すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
 四、党内に派閥・分派はつくらない。
 五、意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。
という民主集中制という言葉や原則それ自体は、本来それ以上でもそれ以下でもなく、「当たり前の原則」だと思います@
TORAZOさんの
「民主集中性は僕の所属している学童保育でも当然のこととして機能しています」
「多くの組織で意識するしないにかかわらず、行動形態は民主集中性のもとに成り立っているのです」
というカキコにはそういう点で頷いちゃいました@@
2005/8/10(水)1:20
HP

◆あかはたともみ
東京
とりあえず引用させて頂きます@
>民主集中制
「党中央が決めたことは、黙って無条件に従うというのが原則で、それとは別の意見などいえないんだ、そういう誤解をしている方がいますが、わが党の規約ぐらい、ちがう意見をもった人の権利を、きちんと明文で保障している党はあまりほかにはないはずであります。(略)たとえばいま、東京の狛江市で日本共産党員の矢野さんが市長さんとして活躍していますけれども、三年前の選挙のときはこんなことがありました。現地で議員団の団長を市長にたてるという話をきいたので、そんなことは認められない、あまりにも無理だといって、中央の担当部門は現地へ説得にいったんですね。しかし、なんべんもやりとりしているうちに、中央の方が説得されちゃって、いや、それは現地に理があるということになって、立候補を認めたといういきさつがあるのです。(略)
もう一ついいますと、党の大会のときに、党の方針などにたいする党員からの批判の意見を文書でこれだけ公表している党もないと思うんですね。
党大会というのは、支部からはじめて代議員を選んでゆきますから、支部や地区で少数だという意見は、党大会には直接の形ではなかなか表れないのです。ですが、たとえその支部では一人の意見であっても、大会の機会にものをいいたいというときは、中央に意見を送ってくれば、それを印刷して公表するという制度をつくってあります。
第二十回大会(一九九四年)のときには、三百二十七通の意見を公表しました。前回の第二十一回大会(一九九七年)では百八十六通の意見を公表しました。なかには、党の方針にたいして相当きびしく批判したり反対したりする意見もあります。それを全部公開して、その意見に反対だと思う人は、さらにそこに意見をよせて討論する。そういうことをやっている。これが民主集中制であります。
もちろん、組織は生きたものであります。同じ民主集中制といっても、情勢によって中身、やり方は発展があって当然であります。党員一人ひとりの自発性を基礎にして、党内に民主主義をおおいに発揮するという点でも、政党として国民にたいして統一した責任をはたし、ばらばらな態度はとらないという点でも、この試された道を私たちはさらに大胆に前進したいと思っております。」
(党創立77周年記念講演会/不破哲三/99年7月25日「しんぶん赤旗」より)
http://www.jcp.or.jp/jcp/etc_kaigi/990725_jcp77th_fuwa.html
2005/8/10(水)1:03
HP

◆キンピー
大阪
tanakaさんへ
>投稿後にわかりまして。50年問題とストライキの問題は一部の幹部が勝手←どこが、違うのでしょうか、組織が分裂していた時のことでしょ。正式の機関の会議で、承認して行われたことでない、でも、あやまりだったと、思えませんか。

ストライキの問題は50年問題とは関係ないですが、これらの問題は党機関の責任ではなく、個人の責任として処理され、ストライキの問題では数人が処分されています。

中央委員会に責任があるか無いかですが、俺はあると思いますよ。なんてったって中央委員会は権力が集中してるんですから、間違った方針をとることも、問題を放置させたことも中央委員会の責任です。それを下っ端は追及して組織を強くしていかなければなりません。
2005/8/9(火)19:38

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