あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ261 2005/8/7 0:39

◆名無し
民主≠集中?
8/5の投稿である「選挙制度の補足」の、民主集中制が現実に影響力を持つ「幹部批判」「機関への批判」「組織体質(原則や運用)に対する批判」を、分派とすることで全て不可能にする事への論破が必要なんです。
2005/8/7(日)0:39

◆あかはたともみ
東京
どうでしょう@
>通りすがりさん
「実際は民主集中制じゃなくて、非民主集中制なんですね。よくわかりました。」
って納得されても正直、困るんですけど・・(@_@)
別に「他党よりマシ」ていう比較で終わらせるつもりはないのですが、民主的な手続きを日本のどの政党よりも大事にしている政党だと思います@少し長くなりますが、引用させていただきます@
「自民党は、ことしの一月十九日に、その「最高機関」である党大会を開きました。大会の議案である運動方針は、事前には発表されませんでした。そして大会は午前十時開会で、十二時には終わりました。運動方針は採択されたあとで機関紙「自由民主」の二月一日付で発表されました。あの党は百万人の単位で数える党員をもっているそうでありますが、いったいどこで全党の討論をやり、どこで集約しているのか、まったくわからないわけであります。この党の「自由」と「民主」はいったいどこにあるのでしょうか。(略)
みなさん、こういう対比からも明白なように、民主集中制の組織原則をもった党というのは、党内の民主的討論にもっとも力をつくす党であります。そのことは、党大会のあり方一つとっても明らかではないでしょうか。」
(日本共産党第22回大会 不破哲三幹部会委員長(当時)の「党規約改定案についての中央委員会の報告」より)

繰り返しますが共産党の場合、「『三、すべての指導機関は、選挙によってつくられる』という規約がここまで徹底されてる」のはスゴイことだと思いますし、自分の意見に道理があるならば、きちんと民主的な対話・議論の場を通してその段階ごとに「信任」を得ていけばいいわけです。道理にあわないことを理屈抜きに排除するほど党員は考えなしのロボットではありません。
システム自体に問題があるんじゃなくって、そのシステムを実際に運用していくひとりひとりの構成員がより民主的な力量をつけ成長していくことが大事なんだと思います@@
2005/8/6(土)23:56
HP

◆TORAZO
兵庫
どちらが民主的か
「でいりー赤旗」441に「おはよう問答」での供託金の話が載っていました。小選挙区で300万円、比例で600万円・・・これは貧乏人は立候補するなと言っているに等しい。諸外国との比較で我が国の供託金が突出しているのがよくわかります。日本のこの選挙制度、通りすがりさんのおっしゃるように「北朝鮮みたいだなぁ」って思いがします。

 通りすがりさん、いかがですか?だれでも自由に立候補ができる共産党内部の選挙と比べて立候補することすらできない我が国の選挙制度、どちらが非民主的なのでしょう。できレースってことがわかっているにしても比較したお答えを聞かせていただきたいと思います。
 民主集中性は僕の所属している学童保育でも当然のこととして機能しています。7月の戸外保育は運営委員長の提案で「平和のための戦争展行き」となりました。そのほかにも意見はありましたが、みんなで検討し、多数決で決定されたら少数派もそれに従う。そうでなければ集団生活は成り立ちません。多くの組織で意識するしないにかかわらず、行動形態は民主集中性のもとに成り立っているのです。特に特定の目的を持つ民主的組織ならその原則無しには目的の達成はできないでしょう。
2005/8/6(土)23:56

◆通りすがり
東京
民主集中制=非民主集中制?
ともみさん、キンピーさん、度々の説明ありがとうございます。
なんというか・・・形だけの選挙制度って感じですね。北朝鮮みたいだなぁと思ってしまいました。こういった不自然なシステムなら、執行部の顔が変わらないのも頷けます。
実際は民主集中制じゃなくて、非民主集中制なんですね。よくわかりました。
いままで共産党の候補者にに投票することが多かったので、こういう非民主的な実態があるという事実はちょっとショックす。
・・・それと、何十万人といる党員のみなさんは、共産党の非民主的な選挙制度に疑問をもたないのかなぁと不思議に思ってしまいました。
2005/8/6(土)19:22

◆kouhei
被爆60年 広島の日
これまでの最大の過ちの一つである核兵器の使用。
被爆60年 広島の日がやってきましたね。
 また、現在核兵器兵にたよって外交をする保有国も過ちを犯しているのでしょう

「■[被爆60年]現実を見たら核兵器廃絶の訴えが重要ではないか」 
http://love.ap.teacup.com/kouhei2/112.html
2005/8/6(土)17:44
HP

◆キンピー
大阪
ぴーちゃんさんどうもです。
『日本共産党の80年』ですか。10年おきに党史を出していますが、内容も少しずつ変わってくるのでついて行くのが大変ですね(冷汗
ぴーちゃんさんが党の誤りについて例にあげられましたが、たしか「中央は中央委員会としての誤りは無い」という立場だったと思います(志位さんが言っておられました)。たとえば50年問題とストライキの問題は一部の幹部が勝手にやったことになってますし、他の問題は…総括聞いてもどこに責任があったのか明確ではないですね。。。
ストライキ回避させて、労組から批判されまくりましたが、その後も民主団体や労組に口をはさんで間違った結果を招いているわけですから、根っこのところにメスを入れなきゃダメなんじゃないでしょうか。
中央委員会にはいろいろ注文はありますが、彼らが居心地の良い現状を変えるとは思えないので、下っ端は批判すべき時に批判するしかないでしょうね。そのためにも情報を共有する術を下っ端が持たなければなりません。
なんか良いアイデアないですかね?
2005/8/6(土)11:49

◆ぴーちゃん
「誤り」についての雑感
以下、キンピーさんへのレスというよりも、私自身への自戒を込めた「雑感」です。

●「科学」と「誤り」については、SF作家としても知られるアジモフの『誤りの相対性』という本が私にとっては印象的です。サワリの部分だけ以下に引用しますが、やはり全文読むのがおすすめです。

「地球は球である」というのは誤りで、山や海を全部ならしたとしても、平均海面には数十メートルのデコボコがあることが分かっています。しかし、
「あなたが、地球が平坦であるという間違いと地球が球であるという間違いを同じことと思うなら、あなたの考え方は二つの間違いを合わせた以上に間違っている」

これは例えば安部晋三の歴史認識と共産党の歴史認識についても示唆に富むと思います。

●「批判をどのように行うか」という問題は、私自身、常に自戒すべき問題だと思っています。というのは、私自身、最初は批判が従であったものが、いつのまにか批判が第一目的になってしまい、本来なすべきこと(何をなすべきか?)が見えなくなってしまう、という苦い経験をいろいろな団体でしているからです。相手側の主張を誤りと頭ごなしに決めつけるのではなく、相手側の主張について、相手がどうしてそう考えるのか、また自分の主張についても、どうしてそう考えるのか、お互いにその背景にある考え方をつかむことが第一歩かなぁ、と思っています。...といいつつ、私自身、なかなか出来ていませんが。「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」です。

●ところで例えば日本共産党中央委員会が一昨年に出版した『日本共産党の80年』という本を見ると、自分の党のおかした「誤り」について率直に反省を表明している箇所があります。例えば1964年に労働組合が準備していたストライキに党が反対したことについて、「この誤りは、党への信頼を傷つけ、国民運動の発展に深刻な影響を与えました」(p168)としてこの誤りを認めて是正しています。この他、今ざっと見た限りでは、31年の政治テーゼ草案(p44)、46年の沖縄米軍占領評価(p75)、50年問題(p94〜)、90年代の党建設(p250)ですね。
また、よく引き合いに出されるのは、96年の東京狛江市長選挙で、誰を候補に擁立するかをめぐって、結局地元の意見(矢野さんを立てる)の方が正しくて、党中央が誤りを表明したというものですよね。矢野さんでやはり正解でしたね。
2005/8/6(土)7:06

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