あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ253 2005/7/11 23:30

◆のもくん
愛知
未来をひらく歴史
どもひさしぶりです。歴史認識の問題はいわば戦争を二度としないときめた日本国憲法を国会で承認されたときの国民から学ぶいわば経験則として大事ですね。最近は「新しい教科書」なる極右活動家による事実にもとずかない教科書が中国や韓国等の国々にであれだけの反発になっているのですね。僕の認識としては日本の戦争犯罪は南京大虐殺を含め(詳しくは本多勝一さんの南京ルポ等にたいする裁判や最近の百人切りの裁判の原告の完全勝訴の記録をみてね。ちなみに僕は週刊金曜日という
雑誌から読みましたので・・興味のある人は取り寄せては・・)きちんと国家としてみとめ謝罪してひとりことりが日本国憲法の精神をひろめてほしいと思いますがね。
最近いい本が出ました。日本・中国。韓国共同編集の「未来をひらく歴史」という三国の共同研究の教科書です。
http://www.koubunken.co.jp/0350/0341.html
みなさんも一度取り寄せては。僕はちなみに買いました。
2005/7/11(月)23:30

◆pochidabwoo
埼玉
何が何して何とやら-04
長ったらしくてすみませんが、続けます。

●「南京大虐殺」と「南京事件」に対する私の抱く歴史観 また続き
どこに「我が天皇の軍隊は、勇猛果敢に女性を襲った!」と記録する馬鹿がおりましょう。

極めて危険人物、安部某の指す「正式記録」が何か判りませんが、皇軍には師団や連隊などの単位で「部隊史」が残されています。その他に部隊長や他のレベルの個人が書き残す「戦陣日誌」のようにものもあります。松井石根はそれです。下級兵士はダメです。そんな記録を書いていようものなら引っ捕まります。「軍紀違反」だからです。よって彼ら(=当事者)の書いた記録はまずもって出ない。
公式記録なのだろうに、南京攻略戦に参加した師団や連隊には「そんなものはない」というところがあります。そう、書けないし、あったとしても隠蔽です。普通ならば懐かしさで催される「戦友会」も、この南京関係の部隊で開かれていないところがある、というのも聞いたことがあります。「いやー、あの時はサー、俺もお前も、よく『姦ったよなぁ〜』」と、どうして語れますか。

〈まぼろし派〉「三段落ち」の物事の〈矮小化〉は、こうした「公式記録の隠蔽」などと相俟って、相乗効果を発揮します。
南京市域での死傷者はまぁ通常より多い程度、その他の地域・期間の記録はないから、いろいろな事があったのかもしれないが「あった」と断定できない、彼の国の人々は表現が大袈裟だから、というのが〈まぼろし派〉の立論だと思われます。

これに対し、「いや、まてよー」と言い続けた学術・在野の研究者のグループがありました。
私が「南京事件」という視点・視角を知ったのは、今を去る20余前。そのグループの一員のある文芸評論家の著作編集に携わったことによってでした。この方は誠にすごい方で、若輩者の私にも実に丁寧に接して戴き、現資料を提示し、ものの見方を語られ、ホントにそうしたことが大切だということを教えて戴きました。文字面以外を読むのがいわば読書、というのを感得しました。ので、今も反省の日々の「pochi」です。

序でに申し上げますと、当時の皇軍規律の基本は〈帝国軍人に賜る詔勅〉でしたが、その後、皆様ご存じの〈軍人勅諭〉が出されたと記憶します。〈軍人勅諭〉には「犯すべからず」とありますが、〈〜詔勅〉にはありませんでした。ではなぜ、「犯すべからず」と書き加える必要があったのでしょう?
2005/7/11(月)18:06

◆pochidabwoo
埼玉
何が何して何とやら-03
続けます。と言いつつも、tanakaさんからの反応がないが、ちょとシンパイ? お忙しいのかなぁ? 私の反応に嫌気がさしてしまいましたかねぇー。なので再度申し上げますと【何が〜何やら-01】で私、書いたように、
――tanakaさんの主張はもっともであり、さして私としても異論のないところだし、多くの皆さんがもしかしたらそうでしょう。
これに偽りはありません。ヤリ込めるとか論破するなど考えておりませんし、そんな力、私にはありませんからー! 残念! 斬りっー
ぴーちゃん、すみません。ぴーちゃんの質問の直接回答は、多分次々回。ごめんなさい。
半共分子さん、適切な合いの手、ありがとうございます。

●「南京大虐殺」と「南京事件」に対する私の抱く歴史観 続き
前回は質問連発でしたが、大変に重要なことがあります。その表現や認識のいちいちはともかくtanakaさんが南京で起きた出来事の範疇に「性暴力」を含めて捉えていることです。これは南京の事を否定する派も扱いに難渋していると私は見ています。何しろ、天皇の軍隊が「強姦魔の集団」であったのでは「万世一系」も「現人神」もふっ飛んでしまい、ただ恥辱にまみれるからです。
そこで現れたのが「南京攻略戦」そのものをぼやけたものにする〈まぼろし論〉ではなかったかと考えます。〈まぼろし論〉者は、出来事を区切るような話を持ち出した。

「南京市域で何十万人もの死傷者は出てない」し、だから「大量殺戮はなかった」、よって「南京大虐殺なんてそもそもなかった」。そもそも戦闘行為ですよ、戦死者が出るのは当然でしょー、他の地域の戦闘より少しばかり民間人を含めた死者数が多かったからと言ったって、それは戦争! おまけに、その民間死者だって「便衣兵」などあって見分けがつかないから、純粋にどれほどの民間人死傷者が出たのか、果たして疑問だネー

これが、〈まぼろし派〉「三段落ち」だと私は捉えています。早い話が、物事の〈矮小化〉ですね。
〈まぼろし論〉者がよく使う手として、今回、半共さんが例示された「公式記録はなかった」というのがあります。ひどく次元の低いものとしては、松井石根の戦中日誌に書かれていないから「無かった」というものがあって、驚いたことがあります。
どこに「我が天皇の軍隊は、勇猛果敢に女性を襲った!」と記録する馬鹿がおりましょう。

→また続く
2005/7/11(月)16:34

◆半共分子
兵庫
ああ、そうか
南京事件、は、「殺」に限定されないですね、なるほど。
安部晋三君が、「三光作戦は(公式記録には)なかった」とTVで言っても、南京で激戦があったが何もなかった、とは言えない。
2005/7/11(月)13:20

◆pochidabwoo
埼玉
何が何して何とやら-02
さて、始めることにいたしましょう。
しかし、このHPの大御所と目される ぴーちゃんさん(すみませんが、やはりどうも収まりが良くないので、以下敬称を略させていただきます)までが登場なされるとは。また、ぴーちゃんからも別に疑問の提示があり、とりかかるにしてもどう進めるか、ン…、ちょと長崎思案橋〜。
この設定ですから、なるべく一つ一つの節に区切って単位を小さくしてまいりたいと思います。では、ぴーちゃんのご指定もあるので「南京大虐殺」「南京事件」から始めましょう。

●「南京大虐殺」と「南京事件」に対する私の抱く歴史観
――「南京大虐殺」ではなく「南京事件」とする歴史観に私は共感を覚えます。
について、tanakaさんは、
《歴史観でなく、何をしたのか事実ではなのではないのかな。買春(売春)を援助交際と言い換えても同じでしょ。やることは。》
とコメントされました。正直なところ、軽い衝撃を覚えました。

そこで逆に問います。「買春(売春)」と「援助交際」は同じですか? そういう意味でなく、類似していることの例えとして「買春(売春)」「援助交際」をなぞらえたと言われるならば、大切なので申し上げますと、tanakaさんは「類似」ではなく「同じ」と書いています。私はその方面ついて詳しいわけではありませんが、二つは「同じ」ないしイコールと考えていいのでしょうか? これが1-aの問い。

それから、南京で起きたことの比喩として「買春(売春)」「援助交際」は適切でしょうか。南京のそれは、バイシュンやエンコーなどとどこかで類似しているとお考えですか? 上記と併せ読むと、読みようによっては、南京で起きたことはバイシュンやエンコーと同じである、と読めなくもないのではないでしょうか? これが1-bの問い。

上記のような印象を与える要素として「やることは」という文言があります。類推すると正しくは「姦ること」ですね。「皇軍兵士」の行った中国人民に対する「戦時性暴力」を想定されていると思われますが、如何ですか? これが1-cの問いです。

それから、生意気なことを申し上げますと、私は件のコメントの次に、
――その違いとはどんなものか、それぞれ知識を集めてください。
と書きましたが、tanakaさんは何か、お調べなりましたでしょうか? これが1-dの問いです。

→続く
2005/7/11(月)12:36

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