あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ225 2005/3/15 9:43

◆王道
東京
おいしいな役人って
いや〜大阪市役所の公務員って厚遇らしいじゃない 。税金の無駄遣いしてるし、なんか市役所の人間に背広の支給や働らいたら少し日給がふえたり、交通面でも回送バスでも支給できるし、水道局でやら市の税金の無駄使いして、市民は激怒やな、市民の汗と涙で稼いだ金を市の役人貢がせて(税金)おいしく運営してるんだから、何考えてんだ!これだから仕事が見つかんねーわ、福祉はお寒いし結婚し子供ができてもいろいろと負担かかるわ、年金改悪とか言っといて、無駄使いしてんだからやってらんねーよ感じすわね。
2005/3/15(火)9:43

◆ぴーちゃん
東京
はい、ともみさんの書いた通り、この問題は酒の飲み方という一過性の問題ではなく、日頃からの人権や人間の尊厳に関わる問題だと思います。

そしてphchidabwooさんの想定した架空の人物が指摘するように、確かに日本共産党の議員にも前例がありました。ですから、これは決して他人事ではなく、また厳しい処分をすればそれで済むという問題でもなく、私自身を含めて今後とも考えていこうと思います。
2005/3/13(日)6:49

◆pochidabwoo
埼玉
プロ奴隷と共産党
私は、『プロ奴隷』だけにはなりたくない、とそう書いて、以下のことを書きます。

『赤旗』は、自民党N某の事件を受けた形で、共産党議員が職務期間に検挙された例を本誌に掲載(今、手元のそれを探しましたがまだ見つかっておりません。日付不明)しました。その数は三件だったと記憶。

自民党は今回に限らず、所属議員の問題が発覚する度、「それは本人が決断すること。適切な判断をなされるものと思います」と総裁がいい、それでもうだうだが続くと、当の本人が党派を離れ、そうなると総裁は「それは個人の議員だから」と、まぁ、笑えない三段落ちになるし、事実そうしてきた。
それに対して実に対照的なのが、共産党の事件に対する世の扱い方。先の『赤旗』記事が載ったのも記事文中によれば、某雑誌が前例として共産党の検挙例をご丁寧にあげたことに対応したものだった。別には、正確な日付は忘れたが、自民党N某の事件を受けた民放のラジオでも、「コメンテイター」が共産党元議員のF・H氏の氏名を挙げて、わざわざコメントしていた。
同種の事件としても、こうも扱いが異なると、それは一種の興味を惹く。もちろん、その興味というのは、事件もそうだが「扱いが異なる」という箇所である。

こうした現状を含んで、もし私が「ネット右翼」やら『プロ奴隷』なら、先ずは本HPの常連で、共産党に賛意又は支持の気持ちのある人に、自民党N某の事についてコメントを求め、それを手がかりに、共産党の過去の同種の(とされている)事件をあげつらって、責め立てるという手法はごく当然に考えるだろう。ただ、極めて幼稚なのが珠に傷だが。

真正の右翼思想については、これも日付が定かではないが、鈴木邦夫氏が「公安警察の無意味」を指摘する通りすがりに、趣旨「共産党を公安指定するほど無意味なことはない」と、何と『赤旗』本誌に答えていたのを考えれば、それはそれなりの「考え方」として存在するのかもしれないと、推測もできる。
しかし「ネット右翼」などがそれと「匹敵」するのかは実に疑わしい。『プロ奴隷』は私の中では、その「ネット右翼」から数段下がったところに位置付けされている。哀れな話だ。
2005/3/13(日)0:31

◆あかはたともみ
東京
中西議員は国会会期中としては常軌をいっするくらい量のお酒を飲んでいたようですけど、「酔っていたから」で済ませられない問題です@
根本には自分の都合のためには女性の意志や尊厳を無視してわいせつ行為をはたらいても構わない、という人権意識の低さがどこかにあったのだとわたしは思いました@@
共産党としての見解は・・「しんぶん赤旗」紙上ではまだ客観報道しかしてないみたいですね(@_@)
2005/3/12(土)21:52
HP

◆ぴーちゃん
東京
Re: 「言葉」の喪失こそ「敗北」
中西議員の行為は人間の尊厳をふみにじる許されない犯罪です。逮捕も議員辞職も当然だと思います。> ネオさん

---
「黙々と暴行」、本当に不気味ですね。

ところで加害者である青年に対して、周囲の保護者や先生は日ごろどういう「言葉」で接しているのでしょうか?

「どうして人を襲撃してはいけないか?」。その理由は「刑法で罪を問われるから」という以前に、「人間の尊厳があるからだ」と考えます。というより、人間の尊厳という前提があれば、そもそも「人を粘着テープで縛り、その人から奪った金でコンビニで酒を買い、縛った人を眺めながら酒を飲む」などというおぞましい発想じたいが出てきません。

でも、では「どうして人間に尊厳があるのか?」、これを「言葉」で真剣に伝えるのは簡単なようで簡単ではありません。仮に私がその加害者の青年の保護者だとして、いったいどういう「言葉」で人間の尊厳というものを伝えられるか、ということをいろいろ考えさせられました。> pochidabwoo さん
2005/3/12(土)15:38

◆pochidabwoo
埼玉
「問答」ということ
私は、ネット上に数ある「書き込み」「コメント」の書けるサイトに興味がある。だから拙い文章を書いている。書いているのは、私以外の意見を知りたいし、私の意見を表すためにである。
インターネットが「コミュニケーション」の手段であるためには、もちろん「ハード」としてのPCは必要だが、意思の疎通という、より根本的で人間的な行為のために「言葉」を欠くことはできない。当然だ。言い換えれば「言葉」は「ソフト」かもしれない。意思の疎通という言葉を平易に書けば「問答」とも言えると思う。「問答」とは「問い」「答える」という意味だから、ネット上のやりとりがその様になるのは必然だとも思う。

私が注目するのは、「問う」場合においては「私はこうこう考え、こうとも想像するが、皆さんはいかがか」という筋が、「答え」では「いや、私はかくかく考え、しかじかと考え及ぶ」という筋である。こうした要素を盛ることによって始めて、コミュニケーションは成立すると考えている。
その際、「問う」にしても「答える」にしても、意見を明確にするための「言葉」が必要になる。「言葉」でもって自分の意見やら意思を表現できないとなれば、コミュニケーションの前提が壊れていると言えなくもない。また「言葉」に努力せず、自らの含意を現さないのは、コミュニケーションの阻害要因でしかない。
しかし私には、作文の力が無くまた自信もないから、あれこれ自分の意見を説明するので、一つ一つのコメントが長くなる。だが、無いモノは仕方ないから、他の皆さんには迷惑かもしれないが、長いコメントを書くことになってしまっている。

さて、その社会状況を反映して新しい「言葉」も生まれる。ネット上にはよくある話で、最近知った新語は『プロ奴隷』。自らすすんで与えられた権利やらを放棄・返上し、体制とか権力等に阿り、組み従う考え方を指すようで、体制・権力に抗するような考え方や勢力を忌み嫌うらしい。そうした言説が多いので、ネット上では「アラシ」とか「ネット右翼」などと混同されてきたが、思考として「阿り」「隷属」の精神が強く、意思は弱いらしいのだが、何しろネット上で生まれた「言葉」だから明確な規定はないそうである。

かくして、さして重さのない新語を一つ覚え、他方で、大切な「言葉」すなわち思考とか価値感を、私は喪失していってしまうかもしれない。
2005/3/11(金)18:25

226224

掲示板に戻る