あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ185 2004/10/23 0:11

◆あかはたともみ
東京
言葉の、いいえ、品性の衰退??
石原慎太郎知事が、自らが進める来春開校予定の首都大学を支援する団体の設立総会の祝辞で、また「暴言」を吐いたと21日付の「しんぶん赤旗」で報道がありました。
関係者の意見をまともに聞かずに都立の四大学を廃止して首都大学東京を設立しようとしていることに、フランス文学やドイツ文学の教員の間で批判が強まっていることを目の敵にした石原知事は、
「フランス語のこと調べましたら数の勘定ができない言葉ですから、国際語として失格しているのもむべなるかなという気がする。そういうものにしがみついている手合いが、結局反対のための反対をしている」
なんて述べたんですって@
あまりにも傲慢で自分の立場をわきまえない放言だとわたしは思います。「手合い」ていう言葉遣いもどうなの??って感じです@@

「国のお偉い方の「言葉」使いも、私は気に障ります。」というpochidabwooさんのカキコがまさにこれではないでしょうか。

「何を言っても許される」という傲慢さがありはしないでしょうか?
立場や意見が違う人に対する「尊重」の態度のカケラもない態度とはいえないでしょうか?
「東京都知事」という自分の立場からてらした意見の重みや影響力にまったく無自覚な発言だとはいえないでしょうか?
相手の立場をまったく尊重しようとしないこのような政治家が首都の知事に座らせていることを許してしまっている「保障」はいったいなんなんでしょうか?と思ってしまいますよね@@@
2004/10/23(土)0:11
HP

◆pochidabwoo
埼玉
萎えた言葉
TORAZOさんのお話を、申し訳ないことですが、嬉しく読みました。私はきっとTORAZOから何年か遅れで似たような雰囲気の中にあったように思います。高校に「反帝学評系」らしき組織があり(成田へ一緒に行こうと誘われたりし)まして、その組織が卒業式だかをぶっ壊したと記憶します。
それ以前、すでに私の中には「社会」が存在しており、それと自分との関連や位置付け、同違などを、頭のどこかで考えていたように思います。中学校で書いたレポートは「足尾鉱毒事件」で、今してみれば、随分ませていたのですが、先生も大したもので、返答として「これを読んでおけ」と紹介されたのが『帝国主義論』でした。今じゃ、考えられないことなのでしょう。

他者の存在を認めれば当然、対立とか相容れない事があり、次第に、稚拙ながらも「吾も理論武装せねば」などと意気込むようになりました。
したがって、けんか腰であろうが何であろうが、多弁であることはごく自然であり、私は今もその残滓を(未熟という点はそのままに)抱いていると思います。

しかし暫くすると、「そんな面倒なこと、どうでもいいじゃないか」という風潮が起こり、「真面目」(私が、という意味ではなく)なことを軽んじる社会の雰囲気になってきました。「三無主義」と、いわゆる「好景気」での状況下でしたかね。
今の私が気にしている「言葉の衰退」というのは、どうもこの辺りから始まったのかもしれません。

私に「言葉」を操れる力量がないのは当然ながら、しかしそれでも、何かを言わなければいけない、と思えば思うほど、今日の「萎えている」ような言葉が気になります。
国のお偉い方の「言葉」使いも、私は気に障ります。「それは見解の相違」と言ったら、どんな会話もそこで終わってしまいませんか。「貴方はあなた、私はわたし」と言っているのと同然、結局、「好き勝手にどうぞ」ということになってしまいます。人の生き死にに関わることについて、そうした答え方をする政治屋というのは、私からすれば「存在そのものが害」であり、そのことを実直に表現するのは、いわば当然なのじゃないでしょうか。
丁寧を繰る必要がある時は、丁寧であった方がいい。でも「言葉」もしくは「言語」は人の感情や考えの表現であり、伝えるための道具であり、したがって、文章に「喜怒哀楽」や「猥雑」があるのは、むしろ必然と私は考えているのですが。
2004/10/20(水)23:54

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