あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ182 2004/10/9 13:07

◆pochidabwoo
埼玉
愛国について 1
もうだいぶ以前に読んだので曖昧ですが、家永三郎氏は『戦争責任』の巻頭で「私は過去の戦争において、なぜ戦争に反対しかなったのか」と自らを顧みておらていたように記憶します。
「国を愛する故に、結果的にせよ国を滅亡の淵に追いやることになぜ反対しなかったのだ」と。〈この言葉は私の曖昧な記憶のものです。そういう主旨だったと私が記憶しているもので、家永氏の文章ではありません。ご注意を!〉

私は別の投稿で書きましたが、現行「憲法」は明らかに、国民の体験した塗炭の苦しみを思慮しています。いわゆる「前文」で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」はそのことの文章化であり、逆説的に書けば「政府は国民に対して時としてとんでもないことをする」「政府は時として国家を滅ぼす」とまで書いているのだと、私は読んでいます。だから、「愛国」を標榜するのであれば、政府を監視し、批判する精神こそ必要条件だと考えます。
「憲法」という日本国の最高法規、すなわち現在の日本国を規定している唯一の文章に、「政府は国民にとって害的存在であることがある」とまで書いてあるというのは、凄い文章だと思うのです。そのことを受けて「前文」の終わり辺りに「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」となるのだと考えます。すなわち、「目標を掲げて出発」した、けれども到達するには「国民の努力が必要」と書いているのだと。

自ら愛国者と名乗り、国家に付き従うことだけが「愛国」の行為だと、ひどく短絡で無思考に思いこんでしまっている人などらは、憲法のそれを「そいつぁ〜、画餅のような理想論さぁー」などとすねるような因縁をつけますが、その通り「理想」です。しかし、理想だから無意味というのは、やはりひどく単純であり、理想のない国家像を説明しないこともまた、投げやりな印象があります。だから概ねこうした「無思考愛国者」らは、自分の小さな思い入れや価値に固執する性向にあるような印象が私にはあります。
ガヤガヤと大声をあげ、威勢のいい又は恰好のいいことばかり並べ、異論に対して圧力的、時として暴力的な無視の態度、最後は「理屈じゃねーんだ」となったら、それはもう、人間性の終焉です。事実、日本帝国の行った侵略行為は非人間的であり、人間性の解体そのものだったと私は認識しています。
2004/10/9(土)13:07

◆あかはたともみ
東京
嫌いなのは@
わたしは「日本が嫌い」ていうわけじゃなくって、「今の日本の政治」が嫌いです@
わたしたちの意見をちっとも聞かないばかりか、望んでいることと逆のことをやっているから@@
わたしたちとかけ離れた政治を尊大な態度でワンマンですすめていく、「国民と乖離した今の日本の政治」、この状態を一市民としてもなんとかしなきゃ!と思うんですよね@@
今の政治に意義を唱えること、それがあんま使いたくないんですけど、本当の意味で「日本を愛する」ことなんじゃないでしょうか??
2004/10/9(土)8:56
HP

183181

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