あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ15 2004/2/15 0:42

◆のもくん
愛知
続続編
日本人は「おしん」のように異を唱えずひたすら堪え忍ぶのが民族性と言われがちです。しかし、一方で昔から他の国の良い習わしを素早く取り入れるバイリンガル的な適応性も備えた民族であることも知られています。
政府やマスコミの「操作されたはやり」にまみれているから負の民族性が目立つだけ。今ノほんとうのはやりをがんばっているマスコミや民主団体や個人が知らせて行けば国民のみなさんは知り入れてくれるのではないでしょうか。
 まずはちまたのうわさ話から。ちいさな集会から、いろんな団体が一緒に活動してみてから徐々に広げて行けば、いいと思います。
正しいことはえらくなくても出来る長い道のりがかかっても思いは届く。憲法そんな希望を与えてくれる。そんな魅力に足ると思います。
2004/2/15(日)0:42

◆のもくん
愛知
日本国憲法、さあこれから。続編
みなさん、こんにちは、日本国憲法が踏みつけになっている今、私たちが今一度日本国憲法や「あたらしい憲法のはなし」を再読し、憲法の「崇高な理想」を実現する道に日本を引き戻さねばなりません。今回は僕の憲法への思いの続きをお話ししたいと思います。

僕は名古屋の同朋大学国文学科出身で近代文学を専攻し、宮澤賢治を研究してきました。彼が残した言葉の中で「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という言葉は憲法の理想を先取りしたものであり、有名な童話「銀河鉄道の夜」で賢治さんの求めた「ほんとうのさいわい」は基本的人権をも超えた崇高な理想があったように思われます。
憲法の定める基本的人権には自由や平等、生存権、団結権、財産権、働く権利、教育を受ける権利、損害を補償される権利、裁判をする権利、参政権、それらもろもろを平穏のうちに請求する権利があります。お互いの権利を尊重する義務を負いますし、納税の義務を負いますが時代を追うごとにあたらしい権利を主張する事も憲法の中で幸福を追求することが明記されていますので保障されてしかるべきだと思います。まさに「ほんとうのさいわい」を求める道です。
2004/2/15(日)0:24

◆k-mal
「の」について
2月11日になっているのは、「日本書紀」だったと思いますが、その内容に基づいて定められたようです。日本書紀でなければそれに準じた史書と思います。「古事記」にはなかったように思います。
それゆえ、終戦記念日のように歴史的にも明らか日でないため、「の」を挿入して『建国記念の日』というごまかし策で定められたようです。
2004/2/14(土)17:45

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