1 削除済
2 としこ
すぐおばからお手洗いに行かされ、出てきたらお線香、もぐさとやいとの準備がされていて、畳の上へ押さえつけられて、スカートを降ろされシミーズを取られ、ズロースを剥ぎ取られました。おじおばが背中と太腿にまたがり、母に据えられていた腰の目のやいとの痕へ、小指の先くらいのもぐさで左右にやいとを据えられました。
母の時より大きなやいとでかんにんかんにん、おばちゃんかんにん、お母ちゃん助けてと泣き叫びました。一度熱さが遠のきましたがもう一度もぐさを置かれてまた同じ熱い思いをさせられました。

おばさんは、お客さんに申し訳ないと何度も謝って、やいとを据えますんでゆっくり見ていって貰えるようにお願いしていました。
お客さんは、思い起こしますと初め私の言葉ですごく怖い怒った顔だったのを覚えています。

熱さが去って、おじおばが力を抜いて、私もほっと大きな息を何度もしていました。
するとおばさんが、こんな悪い事言う口はやいとを据えとかなあかん。女の子の大事な顔にやいとを据えるわけにいかんから下の口にやいとを据えよう。
そう言って手を括られ、ひざの下に箒の柄を入れて拡げて括られ、もう一本両方の足首を拡げながら括り付けました。さあ悪いこは、○○○のやいとや。

家でやいとを据えられていた頃、お尻のやいとで効かんようやと、○○○のやいとをせんとあかんかな、と良く母が脅しましたが、実際に据えられる事はありませんでした。
3 としこ
おばさんは割目の一番上の始まりのほんの少し下に左右に一個づつもぐさを置いて、そのひとつにお線香の火を移しました。もぐさは小さくても皮膚が薄くて熱さは半端ではなく、腰お尻を前後に畳に打ちつけて、熱いかんにん熱いかんにん、もう言えへん
もーえーと泣き叫びました。漸く熱さがましになりましたら、おばがもう一方に火をつけようとします。私は必死になって、もーえー、かんにん、○○○はかんにんしてー。お母ちゃーん助けてと叫び続けました。おばちゃんは火を付けるのを中止して私の口に手拭を当てて、あまり声が出ないようにして
16にもなって(実はその時はまだ15歳でした)あんまり暴れたらあかん。ちゃんと我慢せーへんかったら、もう一回やでと言って漸くもぐさに火を移しました。熱いかんにんと叫んでもあまり言葉にならず、すごい熱さ、痛さとはずかしさで涙が止めどなく出たのを思えています。
漸く括られた手や脚を解かれて、かなりの間放心状態でした。

当時中卒のお給料が5,6千円ではなかったでしょうか?そのお客様は毎月3,4万円お醤油と炭、練炭を買っていただいている一番のお得意さんで、味付けのりを作ってらっしゃる会社の社長さんだったのです。どうやら朝鮮(韓国)のご出身でお国に帰ってお土産を買って来て下さったのです。

今思っても、最初から最後まではずかしい、熱い熱い思い出となってしまいました。
あのやいとのせいか、お客さんはご機嫌を直されて引続き取引を頂戴して、おじおばが商売を辞めるまでお世話になったそうです。
4 ともみ
としこさんのお話に感銘しました。
何かにつけてやいとを据えられて躾けられたあの頃が懐かしいです。
5 ともみ
としこさんのやいとの投稿を読んで感銘しました。また続きを投稿して下さいきっと素晴らしいお話が聴けると期待してます。