1 セリシアーシャ・ロード・ヴァルキリア

戦乙女の寵姫

神を呼ぶ方法

「自分の髪を一本、それに自分の血を垂らし、満月の日に呪文を唱える。『アーシャ・ハルモニウス・セリシア・デイス・ヒュム・プレイゼ・』」

契約の記述より、一部抜粋。

ただし、神は仏と違い、対価を望む。
可も不可もなく、対等に。
いや、それ以上の見返りすら、時に望むのかもしれない。
13 〜]U〜
だが、その表情は柔らかく、穏やかな笑みを浮かべていた。

「仕方ないわねぇ。アタクシ、これ以上貴女の悲しむ顔なんて見たくないわ。だから、アタクシが憂いを晴らして差し上げる。」
「何の話だ。」
「ふふ、すぐに分かるわ。」

ヴィアレスは、妹の腕を掴んでやや強引に、立ち上がらせた。

「さあ、いってらっしゃいな。中庭に貴女の待ち人がいてよ。」
「待ち人?」
「そうよ。でも時間がないの。急ぎなさい。」

そうして背後に回れば、まるで応援するように、セリシアーシャの背を優しく押した。
何がなんだか分からずに、けれどヴィアレスを信じて、女は中庭へと向かう。
頭で考えるよりも、体が動いていたのだ。
行かなくてはならないのだと。
14 〜]V〜
外廷の中央に位置するこの庭は、自然豊かで動物も住まう。
そこにたどり着くまでの道のりが、何時もより長く感じられるのは、きっと女に思うところがあるからだろう。
やっとたどり着いたとき、セリシアーシャの息は少しだけ上がっていた。
調子を整えるために大きく深呼吸して、月夜に照らされる中庭へと足を踏み入れれば、サクと、土を踏みしめる感触。

「……セリ?」

随分と落ち着いた声だった。
けれど、懐かしい響き。
白石で出来た屋根の下、椅子に座る人物がいた。
深い紫のドレスは鮮やかなのだが、それとは対象的に髪はくたびれて、一つにまとめ上げてはいるが、錆びた赤茶色をしている。
そして、顔の右側には、何かが強く巻き付いたような痣があった。

「黄金の巻き髪に、深紅のドレスローブ…帝国公爵、セリシアーシャ…。わたくしのことなど、もう忘れてしまったかしら?」

けれど、その瞳は、強い光を放っていた。
見間違うことのない、紫の瞳は、セリシアーシャを真っ直ぐに見つめる。

「姫……私の、椿姫。」
「覚えていてくれたのね…セリ。」

目尻や口元、至る所に姫…カメリアには皺が増え、老いたことを如実に知らせる。

「わたくしは老いたけれど、貴女はあの時のまま、変わることがないのね。」
「………姫…。」
「皮肉でも嫌みでもないの。ただ、嬉しいのよ。」

うふふ、と淑女は優雅に笑う。
15 〜]W〜
「もう二度と会えないと思っていたの。何も言えぬままなんて、わたくし、とっても嫌だったわ。」
「…私も、貴女に会いたかった。逢って……」
「謝りたかった…?」

老女でありながら、可愛らしさを残した彼女は、首を傾げる仕草すら、愛らしさを残す。
セリシアーシャは何も言わず、カメリアを見つめる。

「沈黙は肯定ね?…でも、あなたが謝る必要なんて、どこにもないわ。」
「しかし…知らなかったとて、私は貴女と別れるその時、主と定めた貴女を苦しめた。それは紛れもない事実だ。」
「それは違うわ。確かに、その時は苦しかったわ。でも…今は違う。」

カメリアは、衣擦れの音とともにゆっくりと立ち上がる。
屋根の外に佇むセリシアーシャへと近づいて、その頬へと手を伸ばす。

「わたくしは、永遠の夢を望んでしまった。優しく、幸せな……あなたと一緒にいるという…永遠を。」
「……。」
「だから当然の報いなの。わたくしは人であり、セリとは生きる次元だって違うのに。…でもね?」

皺だらけのセリシアーシャの主の手。
暖かくて、懐かしい、細くて小さな、頬に添えられた手を、セリシアーシャは自らのそれで包む。
そっと目を閉じれば、少女のようにカメリアは笑った。

「最後に、今度こそ願いを叶えてほしいの。」
「……何なりと。」
「本当に?」
「勿論だ。」

戦乙女は、笑う。
碧玉の瞳を開いて、老いた己の姫を見つめる。

「さあ、我が姫。願いを…今こそ叶えよう。」

寵愛を受けし姫君は頷く。
そして願いを紡ぐとともに、その姿は音もなく消えていった。
けれど、悲しくはなかったのだろう。
なぜなら最期、彼女は笑っていたのだから。

「その願い、確かに叶えよう。」

青白く浮かぶ月を見上げて、セリシアーシャは誰に言うでもなく、呟いた。
まるで、誓いをたてるかのように。
16 〜]X〜
「ごきげんよう、姫。見事な花を咲かせたものだな。」

刻(とき)は更に流れて、とある冬。
ロード公邸の中庭には、立派な椿の木が植えられた。
公務で人間界を訪れた際に目を惹いたとかで、根っ子ごと中庭に植え変えられたのだ。
少し前、沢山の蕾がついたのを見て、セリシアーシャは花が咲くのを心待ちにしていた。
そして今朝、見事な美しい、白い花を咲かせていたというわけだ。

「まさか、雪のように白い…汚れのない花を咲かせてくれるとは。驚いた。」

とても嬉しそうに表情を綻ばせ、深紅の正装に身を包んだ公爵は、白い椿を見上げた。
ロード公邸には、皇帝を示すかのように赤い薔薇が咲き誇っている。
そこに白い椿となると、白はよく映える。

「これで、願いは叶えた。…満足してもらえただろうか?」

セリシアーシャが問うと、まるで勿論だとでも応えるように、椿の葉が揺れた。

「我が姫、貴女の“もし生まれ変わることができたなら、そのわたくしを見つけてほしい”という願いは、これで成就した。そして…ずっと、私と貴女は一緒にいられるだろう?」

言葉などない。
けれど、セリシアーシャは笑った。
まるで答えは分かっているとでも言うように。

「…では、そろそろ行ってくるよ、私の椿姫-カメリア-。」

セリシアーシャが身を翻し、一歩踏み出したとき、強い風が、彼女の背後より吹いた。
そして、懐かしい声が女の耳元で囁く。


―いってらっしゃい、待っているわ。わたくしの女神様-セリシアーシャ-。


...Fin
17 あとがき
ここまで読んで下さった皆様、おつきあい有難うございました。

もともとセリシアーシャの男装と、セリシアーシャの加護をうけ、セリシアーシャに「姫」と呼ばせたいことから始まった小説でした。
それなのにすっごいシリアス街道まっしぐら……最後は幸せな終わりにしたくて、こんな終わりになりました。

今もロード公邸宅には、白い椿の木があります。
毎日毎日、会話をしてます。
皇帝陛下とはまた違う形の主従関係を描けていたら、そしてそれが皆様に伝わったのなら幸いです。

ではでは、これからもセリシアーシャをよろしくお願い致します!