1 ザックス・ケロベロイヤ

冥界公爵奮闘記

「はあ!?視察だぁ?」

その日、冥界のとある公爵家の主は、素っ頓狂な叫びをだした。
一通の手紙が、彼のこれからを変えたのだ。
人だけにあらず、人生とは波乱に満ちたものである。
手紙の内容はこうだ。

異世界ノイヴェルト帝国をその目で確かめ、報告せよ。

「ふざけんな!なんでこの俺様が?あのクソババァの邪魔もなくなって、人生薔薇色じゃなかったのかよ!?」
「御館様、声が大きいですぞ。」

眉をひそめて咎めたのは、この館の主たるザックス・ケロベロイヤを幼い頃から教育してきた初老の男。
ユシリス・オーフェン。
漆黒の髪を後ろに撫でつけ、眼鏡を付けた体躯の良い男だ。
かつては死神として名を馳せていたが、ザックスの教育係となってからは、現役を引退している。

「良いではありませぬか。視察とは、大任です。行って株を上げるのも、一つの手ですぞ。」
「ケッ…興味ねえよ、んなもん。」

低く唸りながら、ザックスはソファーへと横になる。
どんなに面倒で、興味がなくとも、どうせ行かねばならぬのだ。

「面倒くせ……。」

そう呟いて、男は目を閉じた。
8 〜[〜
深紅の制服を翻し、帝国の公爵は歩き出す。
途中、監察官に声を掛けると、彼はこちらに軽く頭を下げて、彼女の後ろを付いていった。
今だ呆然と立ち尽くすザックスと、それになんと声を掛けるべきか分からないユシリス。
初めこそ、ギャラリーは此方をチラチラ見ていたが、二人が一向に動かないと分かれば、次第にいつもの活気を取り戻していった。

「……ユシリス。」
「なんでございましょう。」

先に口を開いたのは、意外にもザックスだった。

「アイツ、何つった…?」
「ロード公閣下のことでしょうか?」
「俺を、認めないとか、ほざきやがった。」
「御館様……。」
「お前を、罵倒もしてたな。」

プライドは、ズタズタだった。
冥界公爵という地位は、男にとって誉れだった。
自分は強くなって、認められたのだと。
誰も、妾腹の子だとあざ笑うこともない。

「御館様…、ユシリスは、この視察の続行を進言いたしますぞ。」
「続行だと…客を罵倒するような国を、見て回れっつーのか?」

怒りに燃えるザックスをよそに、ユシリスは静かに言い放った。
今すぐにでも帰りたい彼にとっては、あまりにもふざけた言葉にしか聞こえない。
だが、ユシリスは引かなかった。

「確かに、我々は恥をかかされたと言ってもよいでしょう。だからこそ、貴方様は任務を遂行せねばなりません。」
「お前は、視察に意味があるって言うのかよ。」
「勿論でございます。」

結局、ユシリスに従うように、ザックスは視察を開始する。
9 〜\〜
本当に意味があるのか、視察が終われば分かること。
一週間、招かれし冥界の公爵は、ひたすら帝都を見つめ続けた。
色んな者たちと出会う度、話を聞く。
その度に出るのは、皇帝の存在と、「平和」。
幸せそうな笑顔が、辺りには広がっていた。

「何でだ?」

一週間、帰国準備が整い、待合い時間の
今でさえ、分からないことは多々ある。
いや、分からないことが増えた、と言ったほうが正解だろう。
なぜ、皆、こうして笑っているのだろうか。
なぜ、ここまで皇帝の存在は大きいのだろうか。
王とは、元来、下々にとって威厳と、畏怖を兼ね揃えた存在なのではなかったか。

「そういった固定概念は、いずれ自らを滅ぼすことになるぞ。」
「!……テメー。」

広場の端、ベンチで人の行き交う様を見つめていたザックスの、まるで思考を読んだかの如き言葉。
驚いて振り向いた先には、腕を組んだ、帝国ただひとりの公爵が立っていた。
また人を罵りに来たのか、そう言いたげに表情を歪ませたが、女は一向に、使者たるザックスを視界に映さない。
よって、恐らくそれに気づいてもいないのだろう。

「分からないか?」
「なにが。」
「ここに来て、私は数え切れない時を過ごした。既に私を置いていった者も、私より年若く、しかし老いた者もいる。」
10 〜]〜
短命な種族は、瞬きの間に命が尽きる。
彼女の命の終わりはまだ見えなくて、これからも何度と、繰り返されること。

「お前は、そういった出会いに、何度出会ったことがある。同じ血を分けた者しか住まぬ地では、そう何度もはないだろう?」
「………。」

この地には、世界も種族も関係ない。
だからこそ、知らぬことを学べる。
気づけぬことに、気づけるのだ。

「笑っているだろう?心にどれだけの苦しみを抱えても、それすら越えていく。」
「……俺が、間違ってると言いたいのかよ。」
「いいや、間違ってはいない。だが、正解でもない。」
「だったら、なんで俺を呼びやがった。」
「それは、お前が考えることだ。」

本当に、視察に意味があったかさえ、ザックスには分からない。
疑問だけが増えてしまった。
やはり、帰るべきだったのかもしれないと、後悔すらしていた。
睨むように、セリシアーシャを見つめていると、彼女はそれ以上は留まるつもりがないのか、クルリと背を向けた。

「…なぜ、と。そう思えただけでも…まあ、良しとしてやろう。」
「何だそりゃ。振り回すだけ振り回して、後は放置かよ。」
「当たり前だ。後は…おまえ自身の問題だ。おまえが考え、答えを導き出さねば意味がないのだから。」

そして今度こそ、立ち去っていった。
11 〜]T〜
「おい」と、制止の声を掛けたが、立ち止まる素振りもない。
だが、仮に立ち止まられたとしても、ザックスにはかける言葉などなかった。
何故なら、答えなど持ち合わせていないから。
だが、彼女の言葉から、分かったこともある。

「御館様、お待たせいたしました。そろそろ…」
「お前は一人で帰国しろ、ユシリス。」

搭乗手続きも何もかもを済ましたユシリスに、ザックスは迷うことなく告げる。

「視察を続行する。お前は帰ってそう伝えろ。あと報告もだ。」
「御館様……。」
「なんだよ、悪ぃかよ。」

悪態ついた自らの主に、ユシリスは首を横に振ると、良いことだと言った。
小さな枠組みに捕らわれることなく、主人はこれから、大きく成長するのだろう。
それを望む者がおり、この国には導く者がいるのだから。

沢山の疑問を抱えながら、それでも彼は歩き始める。
国と…そして、自らの未来(あす)のために。


END.
12 あとがき
此処まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

ザックスとセリの言い合いが書きたくて書いたブツ。
ギャグのつもりが、やっぱりシリアスくさくなりました。
お子ちゃまなザックス。
これから成長してくれることを願ってます。