1 セリシアーシャ・ロード・ヴァルキリア

戦乙女の寵姫

神を呼ぶ方法

「自分の髪を一本、それに自分の血を垂らし、満月の日に呪文を唱える。『アーシャ・ハルモニウス・セリシア・デイス・ヒュム・プレイゼ・』」

契約の記述より、一部抜粋。

ただし、神は仏と違い、対価を望む。
可も不可もなく、対等に。
いや、それ以上の見返りすら、時に望むのかもしれない。
2 〜T〜
その日、異界に位置するノイヴェルト帝国に、新たな公爵が生まれた。
沢山の歓声を受け、公爵はその存在を尊ばれ、期待を一心に受けていた。
帝国公爵…それは帝国の意志とも言える重要な役割を持つ。
少しの不安と重圧感、しかしそれを勝る歓喜が胸の内を支配していた。

「公爵、か。……忙しくなる。」

少しばかり低い、けれどはっきりと分かる女性の声。……そう、公爵は女性で、名をセリシアーシャという。

「まずは、各界に挨拶をしなくてはな。」

夜も更け、全てが滞りなく終わった。
少しの疲れを背負って、彼女は自らが所有する大きな邸宅へと足を運ぶ。
明日からは、仕事が待っているのだと思うと楽しみでならない。
ゆっくりと、しかし、しっかりとした足取り。
見上げた満月は、青白く。
明日からは、また欠けていくだけ。
立ち止まって目を閉じ、そして……

「うそ…本当に成功するだなんて…。」

聞こえたのは、まだ幼さを残す少女の声。
気配など微塵も感じられず、驚いて目を開けば、眼前に映った――赤。

「どうしましょう。わたくし、迷信だと思っていたのに……。」
3 〜U〜
困惑の色を浮かべる少女。
その髪は、随分と赤みの強い茶色で、肩下まで伸ばされている。
瞳はアメジストを思わせる、深い紫。
赤いクラシカルワンピースに、ベージュのショールを羽織った彼女は、ふと気づいたように、こちらをジッと見つめ始めた。

「金の巻き髪、碧玉の瞳。…白と黒の剣を携えた、武装の女神……?」

確かに、セリシアーシャは見事な金の巻き髪をしている。
毎日欠かさず、時間をかけてセットしているし、瞳の色も言われた通りだ。
本日は正装であるため、帯剣もしている。
しかし、正装とは断じて、武装ではない。

「娘、私の姿を言っているのならば間違いではないか?」

ここで漸く、セリシアーシャは少女に向かって言葉を紡いだ。
それに驚いたように、少女の瞳が揺れたが、彼女はフルリと首を横に振った。

「いいえ。だって…本にはそう書いてあったもの。金の巻き髪に碧玉の瞳…きっと貴女で間違いないのに、なぜ服装が違うのかしら?」

クッと眉を寄せるその姿すら、少女は可憐。
だが、こうしてお互い問答を繰り返しても、埒があかない。
まずは状況を把握すべきだろうと、華奢な少女に視線を合わすべく、身を屈めた。
4 〜V〜
「娘、お前は何者だ。そして、お前が知っていることを、私に包み隠さず話すがいい。」
「……はい、女神さま。」

コクリと、少女はうなずく。
説明を始めた彼女によると、此処は集団国家で、彼女はその中枢を担う侯爵家の娘らしい。
その力を広め、国が力を付け始めているとも。
だが、セリシアーシャには、聞き覚えのない国だった。
人間界には多数の国が存在する。
しかし、力を持つ国ならば、帝国が知らぬ訳がない。
何かおかしいと、セリシアーシャはつり上がった金の眉を潜める。

「…本当に、力があるのか?」
「本当よ!だって、わたくしは、そのせいで望まぬ結婚を強いられているのだもの。」
「何…?」

彼女によると、こうだ。
この国は近隣諸国を更に吸収するために、自らの子供を嫁がせ、政権を奪う。
その犠牲に、なりかけているのだと。

「だから、わたくしはアナタを呼んだの。」
「呼んだ?…“召喚”した、と?」
「ええ。まさか本当に、成功するとは思わなかったけれど。」
5 〜W〜
全く何て面倒なことになったのだ、と、セリシアーシャは溜め息を吐いた。
少女も半信半疑だったため、その姿を見て申し訳なさそうに俯く。

「…ごめんなさい、女神様。」
「召喚がなされた以上、致し方ないだろう。…娘、願いがあるのだろう?」
「え?」
「私が召喚されるには、理由は二つ。願いを叶えて欲しい場合と、英霊に強く感応した場合だ。卿は英霊ではない。だとしたら、残るは一つだ。」

己の意にそぐわぬ召喚など、そうはない。
特に神格の高いセリシアーシャは、感応しても、それを御することができる。
だが、今回はそうではない。
それどころか、感知する暇もなく、一瞬で呼び出されたのだ。
それほどまでに強い願いが、少女にはあるというのか……。
6 〜X〜
「……ごめんなさい、今はまだ…言えないの。」
「何…?」
「お願い、女神様!時が来たら、必ず願いを言うから、今は…わたくしの側にいて欲しいの!」

呼び出しておいて、願いは言えない。
怒りを通り越して、セリシアーシャは呆れた。
では何のために呼び出したというのか……恐らく少女は、それすら教えてくれそうにない。

「……セリシアーシャ。」
「え?」
「長ければ、セリとでも。呼び出された時点で契約は交わされているのだ。それが命令とあらば、逆らうことは私にはできん。」
「そんな…命令だなんて…。」
「それ以外に、言葉などない。何かあれば私の名を呼ぶが良い、…我が姫。」
「ひ…!?」

いくら意にそぐわずとも、セリシアーシャは妥協を良しとしない。
ゆっくりと跪けば、少女の白く華奢な手を取り、手の甲へと口づけた。
いきなりのことで、少女は目を白黒させると、慌てたように寝る部屋を整えてくると行って、部屋を出ていってしまった。

「……嗚呼、しまったな。私としたことが、彼女の名前を聞き忘れるとは。」

その後ろ姿を、楽しそうな笑みを浮かべて見送りながら、金の髪の女神は、一人言ちたのだった。
7 〜Y〜
少女…カメリアと出会い、3度も季節が巡った。
少女は女性となり、けれど“時”は訪れず。
契約のもと、女神はこの姫君を守護し続けていた。
手始めに両親に婚約を取りやめさせ、変わりにセリシアーシャはカメリアの家に繁栄をもたらした。
次に少女に叙爵権を与える。これにより少女は権利を得、家の道具にされることはない。
家を両親とは別に設けさせ、カメリアの家は、アーシュカリナ侯邸宅として、話題を集めた。

「セリ。」

息も白く、空気も冷たい時期。
アーシュカリナ侯邸宅の一室、セリシアーシャに与えられた部屋がある。
窓からさんさんと降り注ぐ陽光が、外の寒さなどまるで嘘のように室内を暖める。
控えめなノックとともに姿を表したのは、赤茶髪の淑女。
あどけなさを若干残した、けれど美しさは損なわれることのない肌の色と、アメジストの瞳。赤茶の髪は伸ばされて、今ではセリシアーシャに負けない巻き髪となった。
赤紫のドレスと太陽の光に照らされてきらめく髪が、とてもよく似合っている。
8 〜Z〜
「ああ、姫。何か用だったろうか?」
「セリに……お願いを、しにきたの。」

守護する立場として、セリシアーシャは常に男装を心掛けていた。
今日も今日とて、銅(あかがね)色の紳士服に、主となった姫君を守るための剣…これは契約の次の日、少女に無理を言って買わせたものだ。
髪は、欠かさず巻いてはいるが、常に後ろで束ねるだけ。
連れて歩けば、いつだって好奇の目か、羨望の眼差しを受ける。
それをカメリアは自慢に思っていたし、彼女のお陰で、婚約もなくなった。
3年間、本当にずっと、守られ続けてきたのだ。

「ほう…。では、その願いとやらを聞かせてもらえるだろうか、我が姫。」

薄く笑みを浮かべながら、金の戦乙女は違和感を覚えた。
ようやく願いが叶うというのに、何故彼女は、憂いを帯びた表情を浮かべているのか。
とてつもなく強い想いのはずなのに、…なぜ?

「セリ。…わたくしのナイト…。どうか、わたくしを……」
「姫…?」
9 〜[〜
その願いは、禁忌だった。
姫の紡いだ願いは、彼女自身に罰となって降り懸かる。
青い薔薇が赤茶の髪を彩って、そこからはえる蔦は、華奢な身体に巻き付いて、鋭い棘が柔らかな白い肌へとめり込んでいく。


「姫ーーーっ!!」


叫んだ言葉は、もう届かない。
瞬きとともに、陶磁のような頬を伝う涙。
ツプリ、ツプリ。
青薔薇の棘が、戦乙女の寵愛を受けた姫君を侵していく。
青が、少しずつ赤に支配され、やがて錆びた匂いとともに黒く変色する。

空には、月。

「………こ、こは…。」

一人佇む、女神。
白亜の大橋。
赤き、象徴……。

「な、ぜだ…。なぜだ、私は…まだ…、…っ。」

戻ってきていた。
新たな決意を胸にした、あの“時”に。
その身が纏うは、銅色ではなく、深紅。
髪は美しく結われ、今の、この女があるべき姿に戻っていた。
10 〜\〜
別れを言う暇もなかった。
禁忌と、罰が、姫君を蝕んでいた。
人間が望んではならぬことは、多岐に渡り。
そして……。

「何故、なのだ……姫。」

そして、目を眩ませる者も、多く。

カメリアの身を縛った青薔薇とは、不可能の代名詞。
願い自体が大罪だと言わんばかりのそれは、その後、彼女に何をしたかなど、女神であるセリシアーシャにも分からない。
次元も、時代も分からぬ彼女。

金の戦乙女は、何かに縋るように、高く昇る月を見上げた。
その頬を伝ったのは、透明な雫。
顎から落ちて、白亜の橋へと染みて消えた。
11 〜]〜
あれから数年の時が経っていた。
忙しい日々に見舞われながら、戦乙女は帝国公爵として忙しい日々を過ごしていた。
しかし、ふとした拍子に月を見上げる彼女の瞳には、どこか憂いを帯びており、セリシアーシャの義姉などは心配の言葉を掛ける。
結局聞けるのは、「大丈夫だ。」の一言なのだが。
そしてまた、月が高く昇った夜。
女は、執務室のソファーに座っていた。
深紅の正装用ローブは皇帝の色。
彼女を支配するのは、この国の王ひとりだけ。
周知の事実であり、彼女自身、そう思っている。
その筈だというのに、どうしても、青い薔薇が脳裏にちらついて離れない。

「所詮、過去のことだろう…。」

自身に言い聞かせるように紡がれた言葉。
もう忘れるべきだと思う。
契約とは一時的なものでしかないのだと、分かっているつもりだった。

「そうやって苦しむ姿…何度目かしら?」

小さな軋む音とともに開けられた扉と、聞きなれた女の声。
青白い肌に銀の髪は、月の光をうけて妖しさを増していた。
12 〜]T〜
彼女の名はヴィアレス。セリシアーシャの義理の姉にあたる。

「ヴィア、執務室には勝手に……」
「はぐらかさないでちょうだい。貴女、アタクシにいつまで隠し事をするつもり?」
「……。」
「満月の夜、いつも悲しそうにしているのに…そろそろ話してくれても良いんじゃなくて?」

扉に寄りかかりながら、ヴィアレスはセリシアーシャを見た。
いつもは自分が中心で、何より自分を優先する姉だけれど、それでも、妹を大切に思う気持ちは強い。
何かあれば、彼女は決まって手を差し伸べてくれるのだから。

「……なにも無い。ヴィアレス、私は…」
「もうっ。貴女ってどうしてそうなの?アタクシがそんなに頼りないのかしら?」

頼りないとか、頼りなくないとか、セリシアーシャはそんなつもりではなくて、ただ俯くだけ。
ヴィアレスも、“困った子ねぇ”と、ほとほと呆れたような口振りでポツリと零した。
13 〜]U〜
だが、その表情は柔らかく、穏やかな笑みを浮かべていた。

「仕方ないわねぇ。アタクシ、これ以上貴女の悲しむ顔なんて見たくないわ。だから、アタクシが憂いを晴らして差し上げる。」
「何の話だ。」
「ふふ、すぐに分かるわ。」

ヴィアレスは、妹の腕を掴んでやや強引に、立ち上がらせた。

「さあ、いってらっしゃいな。中庭に貴女の待ち人がいてよ。」
「待ち人?」
「そうよ。でも時間がないの。急ぎなさい。」

そうして背後に回れば、まるで応援するように、セリシアーシャの背を優しく押した。
何がなんだか分からずに、けれどヴィアレスを信じて、女は中庭へと向かう。
頭で考えるよりも、体が動いていたのだ。
行かなくてはならないのだと。
14 〜]V〜
外廷の中央に位置するこの庭は、自然豊かで動物も住まう。
そこにたどり着くまでの道のりが、何時もより長く感じられるのは、きっと女に思うところがあるからだろう。
やっとたどり着いたとき、セリシアーシャの息は少しだけ上がっていた。
調子を整えるために大きく深呼吸して、月夜に照らされる中庭へと足を踏み入れれば、サクと、土を踏みしめる感触。

「……セリ?」

随分と落ち着いた声だった。
けれど、懐かしい響き。
白石で出来た屋根の下、椅子に座る人物がいた。
深い紫のドレスは鮮やかなのだが、それとは対象的に髪はくたびれて、一つにまとめ上げてはいるが、錆びた赤茶色をしている。
そして、顔の右側には、何かが強く巻き付いたような痣があった。

「黄金の巻き髪に、深紅のドレスローブ…帝国公爵、セリシアーシャ…。わたくしのことなど、もう忘れてしまったかしら?」

けれど、その瞳は、強い光を放っていた。
見間違うことのない、紫の瞳は、セリシアーシャを真っ直ぐに見つめる。

「姫……私の、椿姫。」
「覚えていてくれたのね…セリ。」

目尻や口元、至る所に姫…カメリアには皺が増え、老いたことを如実に知らせる。

「わたくしは老いたけれど、貴女はあの時のまま、変わることがないのね。」
「………姫…。」
「皮肉でも嫌みでもないの。ただ、嬉しいのよ。」

うふふ、と淑女は優雅に笑う。
15 〜]W〜
「もう二度と会えないと思っていたの。何も言えぬままなんて、わたくし、とっても嫌だったわ。」
「…私も、貴女に会いたかった。逢って……」
「謝りたかった…?」

老女でありながら、可愛らしさを残した彼女は、首を傾げる仕草すら、愛らしさを残す。
セリシアーシャは何も言わず、カメリアを見つめる。

「沈黙は肯定ね?…でも、あなたが謝る必要なんて、どこにもないわ。」
「しかし…知らなかったとて、私は貴女と別れるその時、主と定めた貴女を苦しめた。それは紛れもない事実だ。」
「それは違うわ。確かに、その時は苦しかったわ。でも…今は違う。」

カメリアは、衣擦れの音とともにゆっくりと立ち上がる。
屋根の外に佇むセリシアーシャへと近づいて、その頬へと手を伸ばす。

「わたくしは、永遠の夢を望んでしまった。優しく、幸せな……あなたと一緒にいるという…永遠を。」
「……。」
「だから当然の報いなの。わたくしは人であり、セリとは生きる次元だって違うのに。…でもね?」

皺だらけのセリシアーシャの主の手。
暖かくて、懐かしい、細くて小さな、頬に添えられた手を、セリシアーシャは自らのそれで包む。
そっと目を閉じれば、少女のようにカメリアは笑った。

「最後に、今度こそ願いを叶えてほしいの。」
「……何なりと。」
「本当に?」
「勿論だ。」

戦乙女は、笑う。
碧玉の瞳を開いて、老いた己の姫を見つめる。

「さあ、我が姫。願いを…今こそ叶えよう。」

寵愛を受けし姫君は頷く。
そして願いを紡ぐとともに、その姿は音もなく消えていった。
けれど、悲しくはなかったのだろう。
なぜなら最期、彼女は笑っていたのだから。

「その願い、確かに叶えよう。」

青白く浮かぶ月を見上げて、セリシアーシャは誰に言うでもなく、呟いた。
まるで、誓いをたてるかのように。
16 〜]X〜
「ごきげんよう、姫。見事な花を咲かせたものだな。」

刻(とき)は更に流れて、とある冬。
ロード公邸の中庭には、立派な椿の木が植えられた。
公務で人間界を訪れた際に目を惹いたとかで、根っ子ごと中庭に植え変えられたのだ。
少し前、沢山の蕾がついたのを見て、セリシアーシャは花が咲くのを心待ちにしていた。
そして今朝、見事な美しい、白い花を咲かせていたというわけだ。

「まさか、雪のように白い…汚れのない花を咲かせてくれるとは。驚いた。」

とても嬉しそうに表情を綻ばせ、深紅の正装に身を包んだ公爵は、白い椿を見上げた。
ロード公邸には、皇帝を示すかのように赤い薔薇が咲き誇っている。
そこに白い椿となると、白はよく映える。

「これで、願いは叶えた。…満足してもらえただろうか?」

セリシアーシャが問うと、まるで勿論だとでも応えるように、椿の葉が揺れた。

「我が姫、貴女の“もし生まれ変わることができたなら、そのわたくしを見つけてほしい”という願いは、これで成就した。そして…ずっと、私と貴女は一緒にいられるだろう?」

言葉などない。
けれど、セリシアーシャは笑った。
まるで答えは分かっているとでも言うように。

「…では、そろそろ行ってくるよ、私の椿姫-カメリア-。」

セリシアーシャが身を翻し、一歩踏み出したとき、強い風が、彼女の背後より吹いた。
そして、懐かしい声が女の耳元で囁く。


―いってらっしゃい、待っているわ。わたくしの女神様-セリシアーシャ-。


...Fin
17 あとがき
ここまで読んで下さった皆様、おつきあい有難うございました。

もともとセリシアーシャの男装と、セリシアーシャの加護をうけ、セリシアーシャに「姫」と呼ばせたいことから始まった小説でした。
それなのにすっごいシリアス街道まっしぐら……最後は幸せな終わりにしたくて、こんな終わりになりました。

今もロード公邸宅には、白い椿の木があります。
毎日毎日、会話をしてます。
皇帝陛下とはまた違う形の主従関係を描けていたら、そしてそれが皆様に伝わったのなら幸いです。

ではでは、これからもセリシアーシャをよろしくお願い致します!