1 玲@姐御

どうも、日記が・・・

日記をレンタルしているサイトがメンテナンス中でアクセスできず。

私は動物好きなんだけど、数ヶ月前にオカメインコの「ファド」が怪我をしてしまって、足が麻痺してしまったの。本人(鳥)は痛みを感じたり苦しんだりしているわけではないけれど、自由にならない足を引きずりながら生きている。
その姿を見るのは辛い。でも、天寿を全うさせなくてはならない。
もちろん、痛みでのたうち回るような上体なら飼い主としての決断をしなくてはならない場合もあるよね。

今彼は7歳。そろそろ寿命も近い。

今、必死に生きている彼に出来ることは、「見守る」事。
動物と暮らすということは、本当に素晴らしく、本当に辛い。
確実に私よりも急速に年を取り、この世を去る。

「死ぬのが辛いから飼わない。」という人もいる。そりゃそうだ。娘と思っている犬に死なれた時の悲しみは言葉では表現できない。
でも、先に死ぬわけにはいかないんだから、良いんだ。それで。

生き抜く事になんの疑問も持たない彼らを見守りつつ、動物と暮らす喜びと、悲しみと、人間のエゴなどをしみじみ考える夜だ。

せめて、私のところにやってきて、幸せだったと思って逝ってもらいたいもんだ。

「ファド」それは、私が愛しているポルトガルの言葉で、最も美しいと言われる言葉。
「運命」「宿命」という意味を持つ。
あ〜あ。そんな名前付けたのがいかんかったのかな?
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2 玲@姐御
上体→状態
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3 ナトキン
産まれてきたからには簡単に無くなっていい命なんか無いんだとつくづく思います・・。「ファド」身体の奥からほとばしる感情を静かに押し殺しているようなそんな力強さを感じます。実に大きい名前ですね。
ファド君きっとあたたかい買い主に恵まれて幸せだと思ってると思いますよ。ファド君先生の人には見せないふとした表情を見てるんでしょうね・・・。
私は実はキキファンです・・・。
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4 ゆう
いつだったか、背水の陣で「れい」という名前をつけた鳥がいたという話をなさっていましたよね。

姐御が公演でその話をなさったときのこと覚えています。
ファドというお名前も、きっとこだわりのお名前ですよね。

姐御には、お子さんがいらっしゃいません。
でも、連日耳に入ってくるのは「幼児虐待」
の話。手のひらに入るような命の灯火を憂いていらっしゃる姐御、人間のエゴとお感じになられようが、目の前にある小さな命を愛しむお姿、涙が出ます。
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5 玲@姐御
今日はね、5年近くお世話になったお教室の仕事を辞めたもんで、色々考え込んでます。
生徒さんは全員可愛かった。


幸せだと思ってくれていれば良いな。ほんとにそう思ってる。
足が動かなかったら、くちばしで何とかする・・・動物の強さに感動してます。
人間だったら、何かのアクシデントが有ったら乗り越えるのに時間がかかったりするけれど、「それはそれ」と受け入れている小さな姿に、教えられる事が多いよ。

そう、どんなに小さくても・・・かけがえのない命。>ナトキン

あ゛〜、辛い話だ。
あんまり思い出したくない話。

動物を「飼う」という発想自体が人間のエゴじゃないのかなと思う。
人間が、野生の生態系を壊す。
だから、飼われなければ種の保存が出来ない生物が現われ、絶滅に追いやられる動物がいる。

あたしは正直な話、子供はあんまり好きでは無いの。
寄ってこられると嫌だなと思ったりすることもある。
それでも、あたしを選んで笑いかけてきているような気がする子供がいたりすると、無視したりしないで、変な顔をして笑わせたりするよ。

子供ってさ、よほどの理由が無い限りは、親(飼い主)よりも長生きするよね。
あたしは親不幸の代表だけど、少なくとも親よりは先には死なないように努力する。必ず見送るから、これまでの親不孝は許してねって感じだ。

どんなに可愛がって、娘と思おうが、息子と思おうが、動物は先に死ぬ事が多い。
それを見送り悲しむのが、ひたすら愛してもらえる「飼い主」の醍醐味なんだと思いたい・・・というか思い込ませてる。

我が家のヨウム「ブレヒト」は、あたしを見送るかもしれないほどの寿命なんだ。

私よりも寿命の短い動物を飼うのが義務だね。万が一の時には・・・ま、それはゴメンって感じ。>ゆうちゃん
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