あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ343 2006/7/23 21:58

◆キカナ
島根
20000号
赤旗20000号達成を機に、赤旗の存在意義について考えてみました。
ここ数日、豪雨です。身の安全をはかる為に情報は欠かせません。テレビ、ラジオに耳を傾け、新聞も、赤旗、キカナが配っている山陰中央新報(竹下登の悪口を一切書かなかった新聞です)のほかに、コンビニで数紙買い込みます。
興味がある人だけ、キカナのサイトを見てもらえば分かりますが、同じ豪雨でも新聞によって取り上げ方が全く異なります。おおざっぱに言えば、地方紙はその地方の情報を、全国紙は全国の情報をまんべんなく伝えます。
赤旗は、特殊な全国紙と言えるでしょう。やはり全国の情報をまんべんなく伝えていましたが、一般紙にはない特徴がありました。それは、被災者の要求を報じていることです。
一般紙と赤旗にはその成り立ちと、目的の違いがあります。一般紙は言ってみれば、株式会社が発行する、利潤を得るための新聞です。赤旗は政党が発行する、議席を獲得するための新聞と言っていいでしょう。となると当然、一般紙はお金にならないことはしません。赤旗は議席にならないことはしないことになります。(つづく)
2006/7/23(日)21:58
HP

◆キカナ
島根
20000号
キカナのことをお覚えの方は少ないと思います。派遣(偽装請負)労働者を暴行したヨドバシカメラに抗議電話をした、あのキカナです。あの抗議がその後どうなったかと言えば、……キカナ、怖くなりました。何が怖いのかと言えば、仕事を奪われることが怖いのです。
キカナはフリーターの身。早朝は新聞配達、日中は短期の仕事を渡り歩いてます(レギュラーの仕事があればいいのですが)。ヨドバシカメラも全国チェーンの店になって、キカナの街にも支店が出来るかも。キカナは仕事を選べるような身分ではありません(実際、地方都市では仕事の数、少ないです)。キカナの街にヨドバシカメラが出来て、店員を募集したら、キカナはそれに応募するしかありません。ヨドバシカメラに限らず、どんな会社も、敵に回すことは出来ません。(つづく)
2006/7/23(日)21:19
HP

◆キカナ
島根
20000号
赤旗が20000号に達した今日、土用丑の日の今日、何故メルマガが配信されないのでしょうか。キカナ待っておりました。日々配達される赤旗の号数が20000に近づいていくドキドキを堪能された方もいらっしゃるかもしれませんが、キカナは、川の水位が特別警戒水位に近づくドキドキにおそわれていました。キカナの住む街の中心部を流れる川が氾濫し、バスは全面運休、鉄道、道路にも被害続出、床上、床下浸水した家屋、店舗もあり、今日の赤旗にボランティアを募るオリコミが入ってました。
幸い、キカナ家には何らの被害もありませんでしたが、会社にバス通勤しているキカナの親は苦労したようです。キカナは新聞配達員(赤旗じゃないよ)。配達時、雨に濡れたのが被害と言えば被害です。(つづく)
2006/7/23(日)19:00
HP

◆pochidabwoo
埼玉
予期せぬ出来事-04
前回、「彼は自然児、雨露を凌ぐらいの術は知っている筈だ」と書いたが、結構、本心である。
人間という「動物」にだって本来は「雨露を凌ぐぐらいの術はある筈」だと私は信じる。そうした「生命維持」の最低限の術というかモラルというかは「教わる」でなく備わっている筈だと。例えば、森の中にあって、マッチがあって「火」を炊けない「人間」は、「人間」という動物として「劣った者だ」とさえ私は思っている。要するに「生きる力」が弱いのだ。「人間」は「人間」なのだが、同時に「動物」であると私は思っているから、生命の危機や死を予感させる際に、防御というか距離を保とうとする「本能」が働くはずだと思っている。
「命は大切だ」というのは、「民主主義」などという概念以前に「人間」に備わっている「本能」により近い絶対的な「何か」だろうと想像している。本来的な意味と条件の中で、「人間」は「自ら死にたい」と考え得るものだろうか? よく判らない?
本人の意思以外の要因、例えば膚の色や所属する国家やら組織などが、個々の「本能」としての「生存意志」についてとやかく言うのは、凡そ馬鹿馬鹿しいものであり、「アッチ行け!」である。「死ね」という国家など、「消滅」してしまったがよほどがいい。

「彼」の話に戻って番外篇的話題は言えば、私が私の居宅の前で最後に「彼」を見たのは七時頃だったが、どうもそれが意味ありげに思えて仕方ない。
「彼」は八時過ぎに飼い主の所に戻ったと保健所の職員から聞いた。大凡教えられた「彼」の住処は、私の隣の町内だったが、私が朝食前に万一にと覗いて「彼」を見たのが07時過ぎ、時間的・距離的に推測すると、私と顔を合わせてそれから「彼」は帰途についたことになる。まるで「それじゃ、オレ、帰るから」と言いにきたような設定ではないか。気持ちのほどは判る筈もないが。

「彼」が飼い主とどんな諍いがあったのか、プチ家出を終えて戻った日の午後、先に申し込んでいたとある抽選の返信が郵便受けに入っていた。「当たっていて欲しい」とは思っていたが、約十倍の倍率、自らのくじ運のなさが頭をよぎった。しかし、「当選」していた。
私は勝手に「彼の気持ちかもね」などと理解している。
今度来る時は、事前に一本連絡くれると助かる。君の嗜好が判らないから「ドックフード」と「生肉」と、両方を用意しておきたいと思っているのだ。(おわり)
2006/7/22(土)0:40

◆pochidabwoo
埼玉
予期せぬ出来事-03
そうして寝床には入ったけれど、夜中03時頃だったか、雨音で目覚めた。「彼」はどうしているか? 勝手なもので「彼は自然児、雨露を凌ぐらいの術は知っている筈だ」と考えたが、心ざわめいて寝床を離れ、窓穴から外を覗いた。偽善的行為の最たるものである。でも、居るのか居ないのか確認はできなかった。

02のコメントを01時にこのボードに書いて、途中で目覚め、で翌朝05時に目覚めて扉を開いて「彼」を探すが、居なかった。
いささか「落胆」はあったが反面「あ〜、良かった」という感情が正直なところあった。「これでいいのだ」「きっと大丈夫だ」と根拠のない理屈を私は打ち立てる。

早起きで、普段ならもう少し遅い時刻の筈の朝食の前、「万一にも」と思って扉を開くと、なんとそこに「彼」は居た。07時過ぎ。ちゃんと私に目線を送って、しっかと「おすわり」をしている。
「お〜戻ったか? ちょっと待ってろ、今、こちとらの飯食べちゃうからさ」と「彼」に言って、扉を昨夜のように半ドアにしておき、「君のことを私は気にしていますよ!」という意思表示としたうえで、私はそそくさと居室に戻り朝食を済ませた。

食事をすませ今度こそという思いで再び出向いたが「彼」の姿はなかった。その変わりに、近所のちょっと顔見知りの女の子がキョロキョロと辺りを見回している姿があった。私に気がついて彼女は言った。「昨日、ここにワンちゃんが居たのよ」っと。「そうだよ、さっき居たんだけれど、また居なくなちゃった」と私は答える。説明できない感情が私の中で右往左往している。
その女の子が去って、私は、今は例え居なくとも発見情報を飼い主が求めているかもしれないと、保健所に電話し、昨夜確認した何やらの番号と共に事の次第を職員に伝えた。
「判りました。番号の管轄は市役所なので確認し飼い主に連絡してみます」との返答。応答にはさして時間はかからず08時半頃には折り返しの電話があり、「確かに数日前、リードが外れ行き方知れずだったが、今日の八時に戻ってきた。これからは注意します」という飼い主の弁だったという。そして最後に保健所職員から「情報提供に感謝します」と言われたので、「いやいや、ワン公の事故的な死に加担はしたくないので、戻って良かった」と返答した。
2006/7/22(土)0:37

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