あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ341 2006/7/2 9:02

◆pochidabwoo
埼玉
「足元を掘れ」懐メロ40周年-04」
善し悪しでなく、私はかくのようにして青年期の音楽体験を過ごしてきた。

今もそうだうろが、音楽は音楽というだけにとどまらないところがあるように思える。当時の大状況として、閉塞社会を劇的に変換したいという志向、「変革」とか「解体」「打倒」という言葉に象徴され収斂されもしたと思える志向の、何というかそのバックグラウンドに、既成の延長線上になかったその頃の新しい「音楽」が位置していたから、私の心証に強く残っているのだろう。

「60年は『安保闘争』だったが、70年は『学園闘争』だった」という世間にゴロゴロとありそうな評価は、当時の私の見方でもあったけれど、それもどうも違うようだ。その類では「沖縄返還」の意味合いは私の中で後に大転換した。やはり、物事を「表層」のみで解するのは不適格なのだろう。事はそう単純でない。

60年代中庸から70年代まで、私の耳に入ってくる音楽は、それらの社会的事象の諸々と同時に入ってきていた。アメリカのヴェトナムでの敗北は何よりエポックだったけれど、しかしけれど、単純に「歓喜」するほど単細胞でなくなってもいた。事はそう単純ではない、のだ。怪奇現象とさえ思えた。

「複雑」に気付いた時、学校で刷り込まれる「常識」が疎ましく思えた。著名人の一言で、人の生き様を語るなど、馬鹿にした話じゃないか。「国家は単に箍だ」。いつしか「物事を斜に見る」クセが身に付く。
公教育を鏡として獲得したそのクセは、後々、結構役だった。しかし「カッコ」ばかり付けていては何も変わらないから、「斜に見る」姿勢は時とともに「原則的」ないし「根本的」という方向に向かい、「ラジカルにありたいものだ」と思うようになる。仕上がりは単なる胡散臭い「皮肉屋」だったが。難点は腰を痛めることだ。手数がやたらと増える。

「足元を掘れ」とは、自分の内面的来し方の一端を、40年前頃の音楽を思い返して書いた、自分だけの話。他者の何かを語るより、自分のことを語ること、昔風に大仰に言えば「自己解体」ってなことになるが、そっちの方がなんぼも役立つ。比して、決して語らずとは言わないが、他者を語るは往々にして問題を孕む。

以上は、ひどく長〜い、団塊出遅れ世代の「おっさん」の「回顧談」でした。

「自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう 〜 自衛隊に入って 花と散る」が、メロディーにのって頭の中を回ってる。―おわり
2006/7/2(日)9:02

◆ぴくしー☆彡
山梨
おっしゃるとおりです
pochidabwoo先輩の仰る通りで、
通常の組織では、
結局、上の部分で勝ち残って行く為に、
取り入るのが上手だったり、悪巧みが平気で出来たり、出し抜いたり、偽ったり(捏造、粉飾、だまし等)、悪知恵が働いたり、上手く立ち回れる人間の方が残ります。
逆に、純粋、無垢や真っ正直の人は、ふるい落とされます。
だから、お上のする事は信用ならないんでしょうね。

僕も、悪用では無く、自己防衛の為の立ち回りは、多少覚えたつもりです。
でも、pixy(いたずら好きの小妖精)を名乗って居る以上、なるべく陽の当たる道を歩み続けたいと思います。
2006/7/2(日)6:08

◆pochidabwoo
埼玉
「足元を掘れ」懐メロ40周年-03
ところで先の歌、「自衛隊」というところを例えば「トヨタ」とか「勝ち組」「東大」とかに置き換えると結構面白い。最後に「花と散る」でオチれば、はまっている。そんな下らないことを試してみると、結構この世は、多々「花と散る」のだ。

映画『パッチギ』では「イムジン河」が映画の底流にあるものを暗示するが、その歌が「規制」の対象になっていた事が劇中に表現されていた。それも、いやらしいー「自主規制」だったと。
この「自主規制」なるものはくせ者で、時の為政者やら権力者やらの「気持ち」を察し(多くの場合、下僕は先走る。文科省の「愛国心」通達を地方役人が先走ったのは典型例)、関係業界が「自己抑制」するのであるが、業界などに限らず、個々人の中にも存在しているように思える。「常識」とか言われるものは「常識」なのか「自主規制」か「体制への阿(おもね)り」なのか峻別は難しい。加えて、個人の中でも時により状況により変幻するから、ややこしい。「規制」で記憶に新しいのは、アメリカにおける「イマジン」だろうか。

閑話休題。もう一枚のCDから…
――――――――
血まみれの小さなハトが 私の窓辺で死んでしまった今
「彼を葬る事より 今のボクらの世界を 見つめる事も方が
偽りの平和の中で あきらめ暮らすよりも 真の平和創ろう!
それが あの小さな ハトのためにも」…
――――――――
私達は今 世界を見つめなくては
私達は今 政治を学ばなくては
私達は今 あすの日を守らねば
私達は今 戦争を忘れてはならない
※まるで洪水のように なにもかもが ひきずり込まれて行く※
――――――――
雲にかくれた 小さな星は
これが日本だ 私の国だ
若い力を 体に感じて
みんなで歩こう 長い道だが
一つの道を 力のかぎり
明日の世界を さがしに行こう
――――――――
三曲のそれぞれ一部を転載。

こちらはグループで、先の歌と同じ場所、同じ年に録音されているが、ライブはない。
「無垢」というか「純粋」というのか、こうした内容の詩が書かれ、かつ受け容れられていた「世の中」とは、今はだいぶ違う。内容があるが故の「規制」を怖れぬ気概やらを、本邦の民は喪失してしまったのかもしれない。内容不要の「A(C)」だけなら、今の世は「泰平」そのものでしょう。
後々、岡林信康は「『友よ』なんて歌いたくない」と言っていた。
2006/7/1(土)23:08

◆やまだ
千葉
赤旗は本当に日本一の新聞です!!
 ぴくしーさんTORAZOさんはじめ赤旗の早朝配達をなさってくれている皆様がた、毎日本当にありがとうございます。
 自分は日本共産党の一支持者の大学生なのですが、お世辞ではなく赤旗は本当に素晴らしい新聞だといつも痛感しています。
 一貫して庶民の立場に立った記事、社会正義の気概に溢れる紙面。自分は新聞や雑誌のスクラップを、レポート作成のために昔からやっているのですが、だんとつ一位の量を誇るのが赤旗です。
 大企業、財界、創価学会、商業マスコミではタブーにされている社会問題に鋭く切りこむ内容には心の底から敬服します。それなので、ゼミでの発表の際の資料にも常に赤旗の記事を使っています。するとやがて「赤旗がこんなに良い新聞だとは思ってなかった!」と言って自分も購読したいと言い出すゼミ生も現れ、とてもうれしかったです。
 だから、とても腹立たしいのは、商業マスコミがいつも赤旗を、聖教新聞や自民新報などと同列の単なる政党機関紙だと吹聴していることです。そのせいで、赤旗を読まず嫌いの人が今だ多いのが悔しいです!
 今はサラリーマンだけでなく派遣社員もアルバイトも皆が皆、日経新聞ばかりよんでいます。日本財界新聞、自民党の最大の広報紙などといわれている新聞なのにです。
 本当ならば労働者は自分の利益のためには赤旗こそ必読だと思います。もし赤旗が今の日経と同じくらい読まれたら、きっと過労死も企業犯罪も激減すると思うし、共産党は大躍進していると感じます。
 小さなころから赤旗を読んでいて思うのは、赤旗は普通の政党機関紙という範疇をこえた、自由と人権、平和と民主主義の理念に貫かれた日本で最も良質な新聞に違いないという感慨です。党派性やイデオロギーを全面に押し出す他党の機関紙とはやはり全く異なります。
 だからこそ、読まず嫌いの人たちは本当に損をしていると思います。一度でも読んでみれば、誤解は解けると感じます。
 そのためにはやはり、赤旗の宣伝をもっと工夫したほうがいいのではないかと思います。その点、日経新聞はやり方がうまいなと感じます。「ビジネスマンなら日経」「就活生なら日経」というイメージ戦略に成功しています。こんな戦略を学んで、「働く人なら赤旗」「暮らしのためなら赤旗」などの巧みなイメージ戦略が必要な気がします。
 自分自身も赤旗拡大のためにこれからも頑張る決意です!
2006/7/1(土)20:22

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