お仕置体験談告白板

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一雄
男性
灸痕
うちのババァー(母)は悪さをしたり、言うことを聞かないとすぐにお灸を据えた。それも背骨の左右に二つも。お灸の痛さや恐怖で泣き喚いても、モグサが燃え尽きるまでババァーは馬乗りになってしっかりと押さえつけていた。俺も弟も12、3才頃まで何度も背中に繰り返しお仕置きをされたため、背中には大きくなった痕が二つも残ってしまった。学校では身体検査や夏のプールでからかわれ恥ずかしい思いを何度もしたので、嫌で堪らなかった。大人になってもトラウマから海水浴には一回も行ったことがない。
妹は同じような悪さをしても、お尻を叩かれるだけで一度たりともお灸のお仕置きはなかった。ババァーいわく、私はお仕置きで背中に6つも大きなお灸を据えられ、結婚して俺の親父に初めて背中を見られた時に恥しかったと、だから「女の子はお嫁に行くので可哀想」という。しかし、男だから灸痕があってもいいとはおかしな話である。事実、俺が結婚した時、嫁さんに背中のお灸の痕について聞かれ、「お仕置き」と答えた時の恥ずかしかったことは今でもはっきりと覚えている。うちのババァーが子育てにおいて男女差別をした理由が、俺には未だ理解できないでいる。
T.K
男性 60歳 茨城
お灸のお仕置き
少年時代やんちゃ坊主だった私は派手な悪戯をしては、お袋からパンツを下ろされ、何度も直接お尻を叩かれた。4年生の時、遊ぶお金ほしさに家から千円を持ち出し、友達と十分に遊んだことが仇となり、後日友達の親からお金を持ち出したことがばれてしまった。お袋から激しく叱られ、お尻を何度も叩かれ、真っ赤になってヒリヒリするお尻の上にお灸を据えられた。熱さを堪えながら何度も「ゴメンナサイ」と泣き叫びながら許してもらった。暫らくはお灸に懲りてお金の持ち出しを止めていたが、お金の魅力に勝てずその後も何度かばれない程度に財布からお金を持ち出していた。5年生になって一度に5千円を持ち出した時は流石にばれてしまい、親父とお袋二人に馬乗りになって押さえつけられ、背中にお尻の時よりはるかに大きなお灸を据えられてしまった。お灸の熱さにも懲りたが、学校で背中の痕をみんなにからかわれ、馬鹿にされて恥ずかしかったことに懲りて二度とお金の持ち出しはしなくなった。
寝小便小僧
男性 55歳 島根
おねしょとやいと
私は小学生に上がる前でも週1〜2回おねしょが続いていて、何時も母をてこずらせていた。母が小学生になってもおねしょが治らなかったら「やいとを据えるからね!」と入学する半年ぐらい前から、私がおねしょをする度に脅すようになった。私が幼稚園生の頃、お風呂で父のお尻に幾つも丸い傷跡があるのを見つけ、父に聞いたことがあった。それは父が5歳の頃からおねしょをする度に婆ちゃん(父の母)からおねしょを治すためにとお尻にやいとを据えられた。そのやいとはもの凄く熱く、そして痛いもので、とても我慢ができず大声で痛い、痛いと泣き叫んでもおねしょが治るまで、何度もお尻にやいとを据えられた。また婆ちゃんは一度もお仕置きとは言わなかったが、俺にはやいとが物凄く厳しいお仕置きでしかなかったと。
それで、やいとは熱い、痛い、恐ろしいものだと知っていたので、私は小学生になるまでにおねしょを卒業しないと大変なことになると思い、母の言うことを聞いて、寝る前のトイレや水分の制限等色々と試して毎日頑張ったが、どれも効果がなく小学生になってもおねしょが治らなかった。母からは約束どおり、おねしょをする度に「やいとを据える」と言われ、また婆ちゃんからも「寝しょんべんにはやいとが一番」と母に何度も勧めていた。しかし、母はやいとは可哀想だと婆ちゃんに言い断っていた。どうも母の「やいとを据える」という言葉は単なる脅しだけのようであった。
しかし、2年生になっても一向に治らない私のおねしょに、母は困り果て最後の手段として、ある時とうとう婆ちゃんにやいとをお願いしてしまった。お尻の両ホッペに据えられたやいとは言葉に表せないほど熱く、痛く大泣きした。それから3度ほど同じようにやいとを据えられ、私のおねしょは卒業できた。そしてお尻には大豆ほどの痕が幾つか残った。父はお風呂で私の小さなやいとの痕を見て、俺の時は何倍もある大きなやいとを据えたのに、孫にはこんな小さなやいとしか据えないなって、婆ちゃんは孫に甘いなと嘆いていた。
女性

小学4年生の時 おじいちゃん家に遊びに行った時のこと。

当時まだオネショしていた私はその日もやってしまいました。
が、従姉妹たちもいたし、まだオネショしている事が恥ずかしくてオネショしたのに嘘ついてしまいました。
濡れた布団をそのまま押し入れにしまって従姉妹達とお出かけしました。

帰ってきたら私だけお父さんに呼ばれて居間へ。
お父さんが『オネショ本当にやってないの?正直に言いなさい。』って聞いてきたけどばれるのが怖くて『やってないよ』と嘘をつきました。
お父さんから『でも濡れたお布団があるよ?誰がやったのかな?』と言われついつい『アキちゃんぢゃない?』と当時1年生だった従姉妹の名前を言ったとたん……『洗濯機に楽の濡れたパンツがあったってママが言ってたよ!!どうしてアキちゃんのせいにするの!!』と叱られて、お父さんに抱えられて………
バタバタ暴れて抵抗したけどスカートもパンツも降ろされてお尻叩かれました。

叩かれながら『オネショは仕方ないけど嘘はダメ!!』『ごめんなさいも言えない悪い子は誰?』とお説教……大暴れ&大泣きしながら『もう嘘つかないから!!!』『ごめんなさいぃ!!』と謝りました。
当然従姉妹も聞いていたのでいまだにおじいちゃん家に行くとその話題がでます…お仕置きもオネショも両方恥ずかしい思い出です(笑)
真由美
女性 30歳
一人暮らしのお爺さん
高校2年の夏休み前でした。下校途中に、一人暮らしをしていたお爺さんの家の庭に勝手に入り込んで騒いでいたら、私だけ逃げ遅れてしまって、お爺さんに凄い力で腕をつかまれて、家の中に連れ込まれました。
そのまま奥の方の和室まで連れて行かれ、「近頃の若い娘は躾が成っておらんようだから、たっぷり尻を叩いてやろう」と、正座したお爺さんの膝に乗せられ、お爺さんに尋問されました。
お爺さん「その制服は○△高校だな?」
私「・・・はい」
お爺さん「何年生だ?」
私「・・・2年生です」
お爺さん「そうか、高校2年生か。だったら尚の事、徹底的に厳しく躾ける必要があるな!」
私「・・・」
そして次の瞬間、信じられない事が起きました。お爺さんにスカートを捲くられてパンツを脱がされて、お尻むき出しにされたのです。
赤の他人のお爺さんに裸のお尻を見られただけでも死ぬほど恥ずかしいのに、お爺さんは「やれやれ、尻ばかり育ちおって」と言うと、シワだらけの手で私の生尻を撫で回してきたのです。
恥ずかしさとおぞましさで私がジタバタしていると、お爺さんの手が私の右尻にバチーン!と振り下ろされ、その直後、今度は左尻にお爺さんの手がバチーン!と振り下ろされ、あまりの痛さと恐怖で抵抗できなくなりました。
その後も立て続けに、私のお尻にバチーン!バチーン!バチーン!バチーン!バチーン!・・・と左右交互に容赦なくお爺さんの手が振り下ろされ、私が泣いて謝った所で、お爺さんに「謝って済むなら警察など要らん!」と一蹴されるのがオチでした。
もはや、お爺さんに裸のお尻を見られて恥ずかしい気持ちなど消え失せてしまい、その時の私の頭の中は、痛さと辛さ、そして、何時になったらお仕置きが終わるか分からない絶望感でいっぱいでした。
お爺さんに「今回はこれ位で勘弁してやるか」と許された時には、外は既に真っ暗になっていました。あまりにも長い時間お仕置きされた所為で、お尻はパンパンに腫れ上がって感覚が麻痺してしまい、上手く歩けなくなっていました。
翌朝になると、お尻が内出血を起こして真っ青になっていて、しばらくの間は椅子に座るのが苦痛でした。あのお爺さんの家に近寄る事は、もう2度とありませんでした。